北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
386/504

トゥクガーは水量が豊富で、水は冷たかった。カニ、エビ、チンポーラー(巻貝)、スップヤー(黒い魚)などがたくさんいた。学校帰りには、田んぼの草で石の聞をふさいで、水を溜め、そこで泳いで遊んでいた。水が冷たいため、唇が黒くなった。いしぶたい昭和19 (1944)年頃、日本軍の石部隊の兵隊が水浴び場所として{吏っていた。現在は国体道路沿いのトゥクガーシーの南側に位置する谷間にイジユングチがある。昔、ここ一帯は山だった。もう山はなくなってしまい、水量も少なくなっている。→伊礼・平安山の卜ゥクガーを見よ。|トゥンワタルガーラ|ウカマジーと力一シヌシーの南側を流れて、シナビ(砂辺)に流れていく川。普段、水はなく、雨が降ったら流れができる川であった。以前、水はウカマジーの前の古墓のところに流れていたが、現せ在は米軍が堰き止めて、タイチョーヤーのところに流している。→砂辺の力一シヌシーを見よ。|ウスクドーヌ力一ラ|そばとお集落の中、メーヌカーの側を通って東から西へ流れる川。普段、水はなく、雨が降ったら流れができる川であった。1谷間|ワンドゥ-1ウチヤードゥイから北へ向かい、アシビナージーとフィラ力一ジーの聞の盆地を言う。地形的に高い所に位置しており、また岩と岩の間であるため、北風が強く吹く場所であった。1IJ'ハjレ名ドゥリグヮーヌハタ|ドゥリグヮーあたりを言う。屋号アカミチチュンナー(赤道喜友そぱ名): 42の側であった。家の前に、ガジマルがあって、その周囲はアシビドゥクルになっていた。晩になると、青年たちがドゥリグヮーをさわってくるという遊びがあった。|メーヌハル-1ウシモーの南西あたりを言う。屋号メーヌハルーテーラグワ←(前ヌ原平良小): 23の他、2軒の屋敷があった。382 -石部隊:第62師団独立歩兵第1 2大隊の通称。-国体道路:県道23号線国体記念道路・ィジュングチ:泉口。泉の湧き出るところ。《ワンドゥー》-アシビドゥクル:遊び場所。《現地調査・嘉手納基地内》

元のページ  ../index.html#386

このブックを見る