北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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アカンマーとも言う。ガンで送られるのは男は7歳、女は9歳以上からで、「ンマに乗せる」と表現した。死者を入れると300斤(180kg)になり、ガンの前後に2人ずつの計4人のガンカタミヤーが肩に担いで運んだ。妻が妊娠している人は、ガンカタミヤーにならなかった。ガンは組み立て式であり、墓からの帰りは、下の封ベ台と上の櫓を取り外して小さくした。ガンヤーに納めるときはチカパクも一緒に納めた。戦前、チカパクは2つあった。カヤモーが、屋号ウフジンカ(大源河):51の前やウマヌナガニーを越したあたりなどにあった。管理された牧草地で茅を作っており、無断で草刈りをすることはできなかった。マカヤー(チガヤ)とダキガヤがあった。ダキガヤは母屋に使った。家畜小屋で使うこともあった。[集落で行なわれる主な年中行事].旧暦2月2日--...3日<ニングワチャーグワー>: 1日目はメーンダカリとクシンダカリに分かれて行なわれた。その中でも、さらに2 9歳までのニーシェータ一、30--...49歳までのヤクミ一、50歳以上のタンメーの3組に分かれ、ヤードゥに集まって行なわれた。とうふニーシェーターから年長者に三枚肉、天ぷら、豆腐などのごちそうを差し上げた。2日目はアシビナーに集合し、合同祭をした。ヤーりんぽんせいドゥは輪番制で、水の便や台所の設備、部屋の大きさなどを考慮して決められていた。.旧暦6月16日<綱引き>:屋号シチャヌハナグシク(下ヌ花城):96の屋敷前で、メーンダカリとクシンダカリに分かれて行なわれた。綱引きの後はムンチャリナーで沖縄相撲をした。.旧暦6月25日・7月17日・8月10日・9月9日<ウシオーラセー>:年に4回闘牛が行なわれるが、6月・7月・8月は練習試合で、9月9日が本試合だった。.旧暦7月7日<旗スガシー>:芝居の旗やアシビに使う道具を虫干しする。.旧暦7月<盆>:ヤイサーを行なう。のうかんき.旧暦10月--...1 1月<アシビ>: 1 0月か11月の農閑期に行なわれたが、毎年あるわけではなかった。7月頃に、クィーシラピチ(声調べ)という試験をしてから役が振り分けられた。シチャシーえんも〈ドゥヤードゥイ(下勢頭屋取)は8つの演目を持っていた。せっし・うかでな集落域は米軍に接収され、現在も嘉手納基地内である。そのたきょうゆうかいめ、人々は他集落へ分散して暮らしている。しかし、郷友会を中心Lんぽ〈として『下勢頭誌』の発行や、さまざまな活動を行ない、親睦を深めている団結の強い集落である。377 -ガン:在。葬式のとき、死者の棺を入れて墓地まで運ぶためのもの。・ガンカタミヤー:ガンを担ぐ人。-ガンヤー:禽を納めておく小屋。・チカパク:ガンを解体して納める箱。・カヤモー:屋根を葺くのに使う茅を生やしていた野原。-ニングヮチャー:旧暦2月に行なわれる行事。集落や組単位で酒宴を開き、余興をして楽しむ。.ニーシェーター:若者の組。・ヤクミー:壮年の組。・タンメー:年寄りの組。・ヤードゥ:一時的に集会所にあてられる家。-ウシオーラセー:闘牛。牛と牛を戦わせる農村部の伝統的な娯楽競技。ウシオーラセーとも言う。-アシビ:歌・三味線・踊りなどを楽しむこと。また、村芝居・祭りなど、仕事を休んで行なう演芸・娯楽。・ヤイサー(エイサー):旧暦7月の盆に行なわれる行事。各集落の青年たちが行列をなして踊り、各家を回る。-嘉手納基地:沖縄本島中部にある極東最大の米空軍基地。

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