北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
372/504

たものである。/略/ウシモーは終戦後、軍用地となり整地されて米軍人軍属用の住宅地となっている。(~上勢頭字誌・上巻』より引用)|イシチチナー|屋号ヤマチ(山内): 74の家の前にあった、クシカッチングミのイシチチナ一。丸石が3"'4個置いてあった広場。若者や子どもなちからだめどが石を持ち上げて力試しをして遊んだ。石は14"'15kgのものから10 0 k gくらいのものまであった。|イシチチナー|屋号クパガーグワー(久場川小): 121の近く、南側にあったジキラングミのイシチチナ一。丸石が4個くらい置いてあった広場。ちからだめ若者や子どもなどが石を持ち上げて力試しをして遊んだ。1亀甲墓園|クバガーヌハ力|屋号クパガー(久場川)のカーミナクーパカである。この墓のあるあたりから上勢頭に入る。現存する墓である。1境界標& lジージャケー|「町田組の後ろあたりに、石柱に刻んだ測量点があり、その付近をジージャケーと称した。J(~上勢頭誌・上巻』より引用)1その他. lムヌマイーバタキ|三角の形をした畑。サンカクパタキグワーとも言う。ものに取りつかれた人が、よく迷わされていた。ちゃたん現在の町立北谷小学校の西側あたりとなる。368 《現地調査・嘉手納基地内》-カーミナクーバカ:屋根が亀の甲のような形をした墓。

元のページ  ../index.html#372

このブックを見る