北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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ファナジーグヮー(謝花地小): 147の西隣にあった。タナカチチョーデーが使用していた。|サーターヤー|共同製糖小屋。ンナンミグミのサーターヤー。1か所のみ。屋号カミージキラン(亀瑞慶覧): 187の西側にあった。|サーターヤー|ウィーバルクーミの共同製糖小屋。屋号チャン(喜屋武): 213の西側にあった。ウィーバルクゃミには、他にも個人所有のサーターヤーが2か戸庁あった。11拝所禽|ビジュjレ|「ウクマガイ紅の西方に、川の土手の所から小高く盛り上がった小山がある。これが上原後(イーパルヌクシ)のシー小で、そのシー小の西の麓に上原組のビジュルがある。裾野の所は芝の生えた広場になっている。広場の周りは松林に固まれた拝所である。広場の橋の方から川辺に下りる小道がある。現在も金網の側に残っている。J(~上勢頭誌・上巻』より引用)1集会所tIb Uムス|「字の事務所が出来たのは大正十年のことである。/字の事務所は字の諸行事を遂行する中心機関であり地理的にもほぼ字の中心に位置していた。村屋は普通近くに広場と拝所を持つが、上勢頭の事務所には拝所はなかった。東側の門の方には国旗掲揚柱があった。J(~上勢頭誌・上巻』より引用)11広場轡!ウシモー|「ウシモー(闘牛場)…勝連組、喜友名組から下勢頭赤道に通じる通学路の途中に、三方を観覧席で囲んだ見事な闘牛場であった。田仲組からも声の届く位の近さにあった。/面積も広く、三方が高い土手に固まれている。道に面した方の土手の上は広場になり、道の側に大きな松が数本あった。東と西には大きな松の木が生え、自然の地形が段々になった見物席があり、道側の広場の両方から牛の出入り口がある。/一略一/当時の闘牛は村内はもちろんのこと、近隣の村々からも参加が多く、見物人も手弁当持参で観戦にき367 -タナカチチョーデ一回伸一族。《びじゆる之碑》

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