北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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lイーマグヮーヌメーヌ力一|[※編主主:位置不明確のため、地図上には記載していない]ご7うししよまつ現在、合間所に杷られているカーのlつ。|ウフジッチャクグヮーヌメーヌ力一|[※編注:位置不明確のため、地図上には記載していない]「共同井戸、ニーブガー(柄杓井戸、浅い井戸)0 J (~上勢頭誌・上巻』より)|ウキンジュガー|「御殿地組の新屋小の南。山稲嶺の東側の土手の下にウキンジユガー(ニープ、ガー・杓井戸)がある。水量豊かで、早魁時にも水があり、遠くから水汲みに来る人達もいた。J(~上勢頭誌・上巻』より引用)1橋閃|ウクマガイバシ|かこわウクマガイに架かっていた橋。幽霊が出ると怖がられていたが、子どもたちはときどき川に泳ぎに行っていた。「国直カジマヤー(十字路)から上原組に向かつて郡道を下ると500m位の所に紅がある。ウクマガイ紅である。昔は橋はなく元道を利用していた。この北谷と越来の境界にある元道は現在もあるが、雨降りには渡れず難渋した場所である。/明治初期(二、三年)に本格的な木橋になったが、それでも床板が腐り所々に穴が出来て、女や子どもは下の元道を利用した。大正十二年(一九二三年)頃、石積の橋になり、橋幅、川幅も広く補強された。J(~上勢頭字誌・上巻』より引用)1製糖小屋⑫ 1サーターヤー|製糖小屋。ウドゥンジータミにあったサーターヤー。ヤマーミーヤー(山新屋): 25の西側にあった。|サーターヤー|共同製精小屋。カッチングミに2か所あったうちのlつ。シラギーユナファグヮージナン(シラギー与那覇小次男): 28の南西側にあった。365 《いーま小ぬめーぬかーの碑》《ウクマガイパシ》

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