北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1掘井戸⑨ イームイグヮーの麓に、雨が降ったときだけ水が流れる川があり、その側にあった井戸。|ニシヌ力一|ウフユナファヌメーヌカ一、ミカジチガーともいう。屋号ウフユいしづくずナファ(大与那覇): 107の南西にあった井戸。井戸の石積みは崩れわきにくいように組まれていた。また、井戸の脇に石の台が立てられておけひLゃ〈おり、その台に桶を置いて柄杓で水を汲み入れていた。台に乗っているので、桶を頭に乗せるのが楽だった。井戸の前面から水が流れ出すようになっていて、その水を利用してターンム(田芋)畑を作っていた。|フェーヌ力一|生活用水として重要な井戸だった。おが現在は軍用地の境界にあるので、固いがされているが、いまも拝みに訪れる人が多い。「東原沢抵の方から少し勝連組に下っていくと、道の左側の畑一つ隔てた土手の下にある杓井戸がフェーヌカーである。造り方はニシヌカーと同じであり、水量も同じ位である。こちらも上勢頭のウブガー(産育井戸)の一つである。J(~上勢頭誌・上巻』より引用)現在、合杷所に杷られているカーの1つ。|イリージガー|かっしゃ滑車はなく、綱で引きあげる井戸で、3""4mの深さであった。かでな現在は、嘉手納基地内となっている。「イリージガーは伊礼家の山林の番をしたり、畑の小作人達に利用させるために掘った井戸で、また伊礼の土地にあるのでその名がついている。J(~上勢頭誌・上巻』より引用)|ミーガー|「共同のニーブガー(浅い井戸)。伊礼原四九二。飲料水として喜友名組と勢理客組が利用。共同ニーブガー。J(~北谷町史・民俗下』より引用)現在、合組所に租られているカーのlつ。364 《ニシヌカー》《ふえぬかーの碑》-嘉手納基地:沖縄本島中部にある極東最大の米空軍基地。《みーがーの碑》

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