北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
367/504

カリユシを歌いながら見送りつづけた。マツコー(ハリツルマサキ)がたくさん生えていて、子どもたちのぼはマツコーをとるために、この圧によく登っていた。|イーマシグーフI(※編注位置不明確のため、地図上には記載していない]フナウクイをする高台。イームイグヮーより少し高かった。|イーマジーグヮーヌグーフ|[※編注:位置不明確のため、地図上には記載していない]「ジキラングミのサーターヤーから東南一キロほど先の圧。」(W上勢頭誌・上巻』より引用)|ウンティンムイ|「シー小の側を通っているトロッコ道を町田組の方に向かつて二五0メートル位行くと、道の左側一畑(チュファタキ)奥に小高い岩山がある。これがウンティンムイである。ー略ーウンティンムイの周りは平坦な畑になっているので、畑の中の小高い岩山という感じである。面積もあまり広くはない。周囲の畑は赤土だが、このムイだけが岩山となっており、麓は、大きな墓や小さな堀込墓が取り巻いていて、大きな松の木も所々に生えている。J(W上勢頭誌・上巻』より引用)i池沼. 'イシアナーグムイ|「イシアナーグムイ(採石場跡の池)/喜友名組の山内家の門前に石チチナー(力試し用丸石置き場)と称する広場がある。その石チチナーの側から、南にゆるい坂道を下ってゆくと、道の右側下に採石場跡にため池がある。これがイシアナーグムイである。/昔、このあたりには石切場が所々にあり、イシアナーグムイもその一つで、一番大きい石切場の跡である。ー略ークムイ(池)ではコイの養殖も行われていた。また、餓鬼大将たちが、大人の目を盗んで、真っ裸で泳ぎ遊ぶところでもあった。J(W上勢頭誌・上巻』より引用)|ウフグムイ|「平安山中勢頭原一一五の角。子供の水浴、洗濯。扇形状の池。深さは二メートルほど。J(W北谷町史・民俗下』より引用)363 -ダンジユカリユシ:船出の祝い歌。身内のものが旅をするとき、一族が集落の広場あるいは高台に集まって、航海の無事を祈願し、これを竜kった。-フナウクイ:見はらしのいい場所から、旅に出る人の安全を願い、船を見送ること。《現地調査・嘉手納基地内》

元のページ  ../index.html#367

このブックを見る