北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1岩山δ |イリヌシー|集落の北側にあったシードゥヌシーの1つ。せいち現在は、米軍に整地されてほとんどなくなってしまったが、西側の一部分だけが残っている。シチャシードゥヤードゥイ(下勢頭屋取)の間取り情報によると、ウチヤードゥイの東側にある岩をタカジ一、あるいはタッチューとも言い、フィラ力一ジーからの一連のシーであると言う。3つのシーが並んでおり、フィラカージーの西側に位置し、グンドー寄りやりとがで槍のように尖ったシーであった。ウィーシードゥヤードゥイ(上そうLょう勢頭屋取)の人たちは、シー全体を総称してシードゥヌシーと言う。|ナーカヌシー|集落の北側に3つ並んでいた大きな岩山の1つ。「ナーカヌシーはイリヌシーとヒラカージーとの間にあり、ヒラ力一ジーより小さく、面積も狭く三つのシーのうちで最も低い。麓は広く松が生い茂り墓地地帯になっていたハプの生息地として知られ、普段はなかなか人の行かないところだった。J(~上勢頭誌・上巻』より引用)|ヒラ力一ジー|集落の北側に3つ並んでいた大きな岩山のlつ。ヒラカージーよみたんそんからは読谷村まで見渡すことができた。「ヒラ力一ジーは、田仲組の北西4------500米のところに位置し、横に連なる三つのシー(勢頭巌陣)のうち一番大きな北側のものである。J(~上勢頭誌・上巻』より引用)|シーグヮ-1いなみねはいしょもともとは稲嶺一族の拝所だったが、現在は字有地となり、ウィーシードゥヤードゥイ(上勢頭屋取)全体の拝所として、旧暦9月9きがん日などに祈願が行なわれている。戦前は、シーグヮーからトゥルクミチをへだてた隣に、ヤイサーができるくらいの原っぱがあった。洞窟~ 力一ブPヤーガマI[※編注:位置不明確のため、地図上には記載していない]「ウキンジュガマの西側の方に約九0メートル離れた所に、もう一つ大きなガマがある。カーブヤーガマ(踊蝿洞窟)とよぶ。入り口は屈んで入る位だが、天井は竿でも届かぬ位の高さである。入り361 《現地調査・嘉手納墓地内》《シーグヮー》-ヤイサー(エイサー):旧暦7月の盆の夜に行なわれる行事。各集落の青年たちが行列をなして踊り、各家を回る。

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