北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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|ガッコーヤマ|ウドゥンジーグミのはずれにある山地。村有地だった。校舎建築のための木材を取るということになり、学生たちがクスノキ(楠)などを植えた。2-3年ほどのあいだ、上級生が放課後かんりに草刈りをして管理していた。1谷間|ミンタマヤー|谷間にできた水たまり。馬に水浴びをさせたり、子どもが泳いで遊んだりした。「ミンタマヤー(水溜)/イシアナーグムイから、タルー喜友名小、タードーシ(喜友名)の側を通り御殿地に向かうと、中間位の所に大きな谷聞がある。そこがミンタマヤーである。J(~上勢頭誌・上巻』より引用)|ウスクドー|「イームイ小のあたりから次第に深く広くなった溝は、イームイ小の北麓からはウスクドーになる。喜友名組と瑞慶覧組と田仲組の聞の大きな溝状の谷である。大雨の時は、ウンティムイの前あたりからの水が集まり大きな川になる。J(~上勢頭字誌・上巻』より引用)11郡道|グンドー|「北谷国民学校(平安山)前の県道の支道を始発点として、下勢頭の真ん中を横断し、シードゥヌシーの麓に沿って北谷村国直まで東西に伸びている道。J(~上勢頭誌・上巻』より引用)1馬車道|ジージャケーミチ|とおジージャケーのあるところを通っている道。「与那覇組と越来村字山内との地境を走り、ウドウンジ(御殿地)まで大きく迂回して字伊檀に行き着く道。J(~上勢頭誌・上巻』より引用)|ジムスヌメーヌミチ|ナカミチとも言う。「集落の中心部を通る道。平安山中勢頭原と平安山上勢頭原の境を走る馬車道。J(~北谷町史・民俗下』より引用)359 -ジージャケー:土地の境界。

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