北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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用出来るようになったのは、あちこちに瓦屋根がふえてきた昭和の初め頃からである。ー略瓦屋根の先にティー(樋)を掛けてもらい、屋根の雨水をコンクリートタンクに集めた。J(~上勢頭字誌・上巻』より引用)また、家々には溜め池が掘られた。「各戸の庭にクムイを掘り生活用水として利用した。ある家には3つものクムイがあった。(~北谷町史・民俗下』より引用)[集落で行なわれる主な年中行事].旧暦2月2~3日<ニングワチャー(クスックィー)> : rヤードゥイ(上勢頭の中の小組単位の集落)のニングワチャ一ヤードウ(クシユツクィーの会場にあたる家)の上座の真ん中で、長老が土帝君の像を心の中で念じつつ五穀豊穣の祈りを捧げた。ー|暗初日は、青年組と老年組の何人かで井戸拝み(カーウガミ)をする。二日目は青年組の家でシンムイ(四角いお膳にごちそうを盛り桃花の小枝をさして飾ったもの)を造り、午後になると、竹竿の先に藁束で、作った輪を大根の花や桃の花で飾った旗頭を先頭に、シンムイをかつぎ、三線でトーシンドーイをかきならし、全員踊りながらミチジュネーイ(パレード)をしながら、老年組の宿にチジワタイする。」(~上勢頭字誌・上巻』より引用)・旧暦5月<ハルヤマスープ>:r農事奨励の方法として、村役場主催で各字対抗の原勝負がおこなわれていた。勝負の対象は家畜・農作物の優劣や、緑肥などの手入れ状態を数人の審査員が各字を回って審査し、その功績を発表した。J(~上勢頭字誌・上巻』より引用).旧暦7月15日<ヤイサー>:各組ごとで行なっていたが、他集くみ落へ行く場合には組を越えて集まった。男性のみで行なわれる。「上勢頭では十五日の晩、ウークイがすむと、事務所の庭(ジムスヌナー)やシーグヮー、石付庭(イシチチナー)に近くの若者が集まり、数週間前から練習していたエイサーを始める。上勢頭の瑞慶覧組は事務所の庭、稲嶺組はシー小、田仲組は首里喜友名の前と各ヤードゥイ、それぞれ広場から始まって各家々を夜通しめぐり歩いた。J(~上勢頭字誌・上巻』より引用).旧暦9月9日<チクザキ(クングヮチクニチー)> : r戦前は毎年九月九日には上勢頭と下勢頭の境にある牛毛(ウシモー)(闘牛場)で、盛大な闘牛大会が行われた。J(~上勢頭字誌・上巻』より引用)せっLゅうかでな集落域は米軍に接収され、現在も嘉手納基地内である。そのたきょう申うかいめ、人々は他集落へ分散して暮らしている。しかし、郷友会を中心しんIまくとして『上勢頭誌』の発行や、さまざまな活動を行ない、親睦を深めている団結の強い集落である。351 《間取り調査風景》.ニングヮチヤー:旧暦2月に行なわれる行事。集落や組単位で酒宴を開き、余興をして楽しむ。-ハルヤマスープ:耕地や農作物の優劣を集落同士で競う行事。-ヤイサー(エイサー):旧暦7月に行なわれる行事。各集落の青年たちが行列をなして踊り、各家を回る。-嘉手納墓地:沖縄本島中部にある極東最大の米空軍基地。

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