北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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現在も安良波公園の西端から見ることができる。1礁池.|クガニグムイ|アラファヌシーとナーカヌシーの問、海の中にあったクムイ。2しお坪ぐらいの広さがあり、潮が号|いたときの深さは30cmぐらいであった。足でかき回しても濁らなかった。野菜を持っていって、クムイの塩水で、もんでチキナーを作ると、家に着くまでには塩昧がつとうふいて、いい昧になっていた。豆腐作りにも使用した。作自|アンチョー|あんきょ卜ゥンクィールーの近くにあった暗渠。|サーラバシ|屋号ハシヌフェーナカチグヮー(橋ヌ南仲地小): 16の南側にあっらんかんサンシンた橋。アーチ型のきれいな橋だった。欄干があり、そこで三昧線をひまんちょう弾いて遊んでいた。満潮のときには、橋から飛び込めた。かなりの高さがあった。i十字路ンマヌクチー|屋号メンタートーマグワー(メンター当真小): 15から北東方向に行ったところにあった。三方向からの道で、三角形になっていた。さんさろいた。メンターミチが突き当たる三叉路のあたりで、アガリヤードゥイからの道が合流するところである。1鉄橋間|テッキョー|かでな沖縄県営鉄道嘉手納線の鉄橋。橋よりも下流にあった。両端はまくらぎわた橋げただが、途中は枕木しかなかった。大人は歩いて渡れたが、子こわはどもは怖がって這って渡っていた。1製糖小屋⑫ 1サーターヤー|共同製糖小屋。集落の東端にあったアガリグミのサーターヤーである。31 -クムイ・池。沼。-チキナー:漬け菜。《間取り調査風景》-沖縄県営鉄道嘉手納線:嘉手納・野国・平安山・桑江・北谷・大山・真志喜・大謝名・牧港・城間・内問-安里・与儀・古波蔵・那覇の15駅があった。-サーターヤー:製糖小屋。

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