北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1拝所禽はいしよいへゃあじようはい集落の一番北側にある拝所。伊平屋の按司を遥拝するための拝所で、ごく小さなムイグヮーになっていた。カンカ一、イヒャウトウーシウガミなどの祈願行事を行なった。すなベかでなちょゆ現在の砂辺スポーツランドの前の道が嘉手納基地の陸軍貯油施設のフェンスに突き当たる地点から、やや南側にある。|ジトゥーヒヌカン|はいはんちけん話者によると、もとはジトゥデーの屋敷だったが、廃藩置県でジトゥデーが那覇に引き揚げたあと、残ったヒヌカンを杷っていると言う。簡単な石垣で囲った小さな洞があり、中に香炉が置いてあっサンゴた。嗣の屋根はテープル珊瑚が石化したとライサーと呼ばれる石をこわかぶせただけのものだったので、台風がくるたびに壊れてしまい、そのうち直されなくなり、なくなってしまった。すなベこんりゅうほこら現在は、砂辺戸主会によって建立された洞がある。|ウフシヌシー|はいしょおがクシムイの頂上にある大岩。拝所として拝まれていた。ンザン話者によると、平安山ヌルはここに拝みにきたことはないと言う。平安山ヌルがシナビ(砂辺)で祈願を行なう場所はトゥンだけで、他の拝所には行かなかったと言う。現在も香炉が置いである。巨互2屋号ニードゥクル(根所): 51の敷地にあった拝所。母屋とは別棟の建物になっていた。話者によると、ウカミヤーと比べると格が下で、線香をあげるぐらいしかしなかったと言う。現在も、母屋の北西側に小さな小屋が建てられている。I~ 9/1 ンザンおがはいしょ平安山ヌルがシナビ(砂辺)に来て拝んでいた拝所。クシムイの西側に崖になったところがあって、その岩陰に香炉を置いてあるだけで、建物などはなかった。トゥンの前方は小さな広場になっていて、ウマチーの前には草刈りゅうきゅうこくゆらいきりをしていた。『琉球国由来記』にはシナビ(砂辺)の人たちが手の神酒六完を供えるとあるが、戦前の段階では神酒は供えていなかった。現在は小さな建物と碑がある。340 -按司:古琉球~琉球王府時代の位階名。-嘉手納基地:沖縄本島中部にある極東愚大の米空軍基地。-ジトゥデー:地頭代。地方役人の長。現在の村長に近い。-ヒヌカン:台所に杷られる火の神。かまど神。また、ノロ火の神。地頭火の神など、集落の公的祭杷の場にもなる。・ヒライサー:テープル珊瑚が石化した平たい石。-平安山ヌル:平安山祝女。伊礼・平安山・浜川・砂辺・桑江の5集落の祭砲を管轄していた。平安山の屋号ヌンドゥルチがヌルだった。-ゥマチー:稲麦などの農耕に関して行なわれる祭り。・『琉球国由来記~:琉球国の地誌。全21巻。

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