北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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使ってゆっくり汲んだ。ンブガーの入り口にアカギが1本生えていた。現在のニービの石碑の基部は戦前からの石である。-ニービ.赤くざらざらした堅い土質。ウガンガ一、11掘井戸⑨ |タキガー|ウガンの南西側の麓にある湧泉。拝所でもあった。タキグサイウカーとも言う。-平安山ヌル:平安山祝女。伊礼・平安山・浜川・砂辺・桑江の5集落の祭前日を管轄していた。平安山の屋号ヌンドゥルチがヌルだった。旧暦1月7日にナンカヌシクという祈願を行なった。菜の花、芋など、畑の作物を酒とともに供えた。ンザン戦前、平安山ヌルは白い着物を着て、この井戸で手足を清めてかトゥンなどムラウチの拝所を拝んだという。おそ畏れられていたので、普通の人はあまり国シジダカサン:神々しい。神の霊力が高い。聖地などについて三‘言つ。ら、シジダカサンと言われ、訪れなかった。(内犬川小): 63の敷地内にあった。もともとはチンガーだったが、昭和7'" 8 (1932 '" 38) 年頃にポンプ井戸に整備された。深さは3尋(4.5m)、井戸の口の|力一バタガ-1共同井戸。屋号ウチインガーグヮー《力一バタガー》-ゥコール:御香炉。線香をたてる炉。・イシガントゥ一石敢嘗。中国起源の除災招福の石柱。-チンガー:つるべ井戸。幅は普通の井戸の倍くらいあった。メーチンジュの人々がお茶を入れる水として使っていた。イモカーバタガ一周辺の家は、手足を洗ったり、芋や野菜、農具などを洗ったり、洗濯をしたりするのにも使っていた。おがこの井戸をムラ行事として拝むことはなかったが、ウコールと、イシガントゥーのような小さな無銘の石碑がおかれていて、個人でまた、拝みにきていた。それぞれの井戸があるチンジュの人々が年に一回、イリチンジュの人が共同井戸は、-カーザレー:井戸掃除。力一バタガーは、掃除していた。現在も郷友会の予算で整備している。カーザレーを行:なっていた。|インガ-1共同井戸。屋号ウィーヌインガー(上ヌ犬JI[) : 60の屋敷前、西側にあった。ほとんどの家に井戸があったが、この井戸の水も飲料水すいじイモとして共同利用されていた。炊事や、芋や手足を洗ったりするため《インガー》にも用いられた。現在の井戸の深さは4mぐらいだが、戦前はもっと浅かった。井戸があった位置もずれており、現在は道路の真ん中あたりだが、こから2mほど西側にあった。そ338

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