北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1生活道|アラハミチ|屋号ナカンダカリヌメー(仲村渠ヌ前): 62のところからアラファヌシーへ行く道。i池沼. マルグムヤー|屋号ウサーアンナヤー12の西側にあったクムイ。川の流れの中にあり、浅いが、広いクムイであった。|卜ーマグヮーヌクシヌクムイ|屋号トゥクートーマグワ一(徳当真小): 8の北側にあったクムイ。川の流れの中にあり、深さは2m40"-50cmぐらいであった。|卜ゥンクィールー|屋号ハシヌフェーヌンナンミグワー(橋ヌ南ヌ稲嶺小): 7の北側にあったクムイ。ケンドーに接したところにあった。一歩で飛び越えることができる。また、モーがあって、そこでモーアシビをしていた。|イ-トゥシグムイI[※編注位置不明確のため、地図上には記載していない]イートゥシの下の方にあったクムイ。200"-300坪ぐらいのたはんい広さだが、普段水が溜まっている範囲はそれほどではなかった。墓こわが多く、怖い場所だったので、普段は行かなかった。あと話者によると、現在もクムイの跡が残っていると言う。1岩瀬δ |アラファヌシー|集落の西方向へ行った、海の中にあった岩。屋号ナカンダカリヌとおメー(仲村渠ヌ前): 62のところからアラハミチを通って行った。岩の上でフナウクイをしていた。エイサーの練習をアラファヌシーの前の浜でしていた。がも、こつじnヲざせっち骸骨がいっぱいあったが、日本軍が銃座を設置するために、戦争前には片付けられていた。あらはごがん現在、安良波公園の護岸にくっついた形で残っている。|ナーカヌシー|アラファヌシーと並んで、海の中にあった岩。旧暦2月1"-2日のニングヮチヤーのときに拝んでいた。30 -クムイ:池。沼。-モー原野。野原。原っぱ。・モーアシビ:農村で夜、若い男女が野原に出て遊ぶこと。三昧線・歌・踊りなどをして楽しむ。・クムイ:池。沼。-フナウクイ:見はらしのいい場所から、旅に出る人の安全を願い、船を見送ること。・エイサー:旧暦7月の盆の夜に行なわれる行事。各集落の青年たちが行列をなして踊り、各家を回る。-ニングヮチャー:旧暦2月に行なわれる行事。集落や組単位で酒宴を開き、余興をして楽しむ。

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