北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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なエビ)、タクグワ一(小さなタコ)、シガヤー(タコの一種)、イビ(エビ)、カニなどを捕っていた。タクグヮーは、昼は沖の方にいて捕りにくいので、夜になって大人が手網を使って捕っていた。旧暦2~3月にかけては、引き潮のときにアーサ(あおさ)を取っていた。スヌイ(モズク)も取れたが、食用ではなく、もっぱら子すべどもが、ぬるぬるしているスヌイで滑って遊ぶために取っていた。のり他にも、ところてんや糊の材料になるチヌマタ(海藻の一種)を集め、売りに行くこともあった。11県道|スクミチ|旧県道。集落の東方向にあり、南北に走っていた道。ハンジャヌとおかでウィ一ヤードゥイ(平安山ヌ上屋取)からクマジャクを通って嘉手な納に向かう道。スクミチという言葉は、戦前でも年寄りが使うような古い言葉だっTこ。→喜友名小屋取のクシヌ卜ーを見よ。i村道ウフドーミチ|シナビ(砂辺)からガッコーやヤクバへ向かう大きな道。→平安山ヌ上屋取のガッコ一、ヤクバを見よ。11馬車道|ナカミチ|屋号ミーティーラ(新照屋): 29から屋号イリメーグヮー(伊礼前小): 40までを言う。道幅は2間(3m)ぐらいだったが、屋号ユナシチャグワ一(与那下小): 38の前は3間(4.5m)ぐらいの広さがあったので、綱引きのときにカヌチを抜くところとして使われた。ムラウチで一番大きい道だった。I~TI 馬車が通る道。シナビ(砂辺)のムラウチから北に向かい、クマジャクに抜ける。|ハーマミチ|とお力チラの東側沿いを通る馬車道。カチラの南東端にあったウシモーから屋号ユージグワー(与儀小): 95までを言う。屋号ユージグワ一(与儀小)を過ぎたところからはハーマミチとは呼ばないが、331 《間取り調査風景》-スクミチ宿道。王府時代に首里城と地方の番所(役所)を結んだ道。圃カヌチをt友くところ:綱引きのときに雄織と雌綱のつなぎ目に俸を通す場所。綱引きの中央。

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