北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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岬シナビトゥガイI[※編注:位置不明確のため、地図上には記載していない]クェー(桑江)の聞取り情報によると、シナビ(砂辺)の方にある岬だと言う。|トゥビラヌサチ|集落の北方向、ガクフチャーガマがあった岬。トゥビラとも言う。トゥビラ(トベラ)が生えていた。|クィージヌサチ|集落の北西、ガンヤーがあったところの岬。|マ力ルーイリーグヮーヌサチ|屋号マカルーイリーグワー(真苅伊礼小): 1の西側にあった岬。lマチグムイヌサチ|シナビヌメーヤールイ(砂辺ヌ前屋取)の屋号マカルートゥキシグヮー(真苅渡慶次小)の近くにあった岬。岬の先端から約10m先にマチグムイがあった。岬の上には芝草が生えていて、子どもの遊び場になっていた。ま由た、小学校の海水浴に来たときはここに着物を脱いでいた。L 集落の西側、海岸の側に広がる湿地帯。足を踏み入れると、60 しずcmぐらいの深さまで沈み込んだ。一面にガマ(蒲)が生えていた。ゎ湧き水が湧いている場所が2~3か所あり、ワクガーと呼ばれてみしおふいた。満ち潮になると、水がわずかに吹き上がるので、その場所がわかった。戦争力f始まる前から昭和18 (1943)年ぐらいまで、コイ(鯉)の養殖が行なわれていた。また、力チラの陸寄りのところにカズラを、海寄りのところには稲を植えていた。匠亙ンマイーから北に向かい、ガクフチャ一方マのあたりまでの海岸ごがんには護岸が作られており、それをガタと言う。|トーンナトゥ|ノーリグヮーの河口。ンナトゥグヮーとも言う。トーは「唐」で、329 -ガンヤー:寵を納めておく小屋。《間取り調査風景》《現地調査・嘉手納基地内》

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