北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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ちゃ土こんかでなさかいそそて、現在の北谷町と嘉手納町の境を流れて海に注いでいた。雨が降ったときだけ流れができていた。特に名前がついているわけではなかったが、河口から川の沿岸一帯がクンナトゥと呼ばれていたので、クンナトゥヌカーラグヮーとも言う。ハーマミチから続いている馬車道は、この川にさえぎられて終わっていた。橋は架かっていなかった。→喜友名小屋取のクシヌ卜ーを見よ。匠三ヨ集落の北方向にあった川。トーヌカーラグワーとも言う。チュンナーグヮ一ヤードゥイ(喜友名小屋取)集落や、その周辺の畑なとおどから水が集まって川になり、グーフの南側を通って、マヤーヤーの北側に流れ込んでいた。雨が降ったときだけ流れができていた。力一ラから北側はユナンディと呼ばれた。はいすいこう現在は米軍の排水溝として使われている。流れは、戦前より多少南側に移動し、川幅も広くなっている。|ノーリグヮ-1集落の南端を流れていた川。雨が降ったときだけ流れができていた。特に、その流れにあるノーリグワーグムイやその周辺を言う。1小ハjレ名クンナトゥ|ちやたんかでなさかい現在の北谷町と嘉手納町の境に、雨が降ると流れができる力一ライモがあり、その川沿いの一帯を言う。畑地で、主に芋が作られていシンパルヤードウイた。千原屋取があったあたりである。|ユナンディ|集落からクマジャクへ向かう馬車道を進み、マヤーヤーや力一ラを越えた一帯を言う。土質はアカマチクーで、上質の畑があった。イモマメムギサトウキビ、芋、豆類、マージン(もちきび)、麦、野菜などを作っていた。→喜友名小屋取のクシヌトーを見よ。|グーフバル|グーフの一帯を言う。土質はマージで、良質の畑地だった。サトウキビのほか、ユリ(百合)の栽培もしていた。326 《ノーリグワー上流》-千原屋取:現在の嘉手納町域にあった。エイサーが有名な集落だった。-ァカマチクー:黒昧がかった赤土。サラサラしている。-マージ:赤土質の土壌。マージでできた芋は小さいが美昧しい。

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