北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
33/504

11小ハル名|メンター|畑地で、土質はジャーガルであった。田んぼはなかった。|イー卜ゥシI[※編注:P37 r戦時中の石平屋取」の地図に記載]宇江登志と漢字を当てることもある。チャタンヌメ一ヤードゥイ(北谷ヌ前屋取)の人たちの墓がせんこつあった。洗骨を行なっていたので、水がある川沿いに墓を造ることが多かった。フインチャーバカがほとんどで、カーミナクーパカはいさはま2"'3基だった。チャタン(北谷)や伊佐浜の人たちの墓もあった。こわイートゥシは墓が多く、怖いところだった。1潟lイリグヮーガタ|屋号マツートーマ(松当真): 6から西方向へ行ったところにあっごがんた潟。所有者は屋号クシイリグワ一(後西小)であった。護岸沿いは砂地。きたまえ現在の北前区公民館のあたりである。|ウワンクーラー|屋号マツートーマ(松当真): 6から西方向へ行ったところにあった沼地。500"'600坪ぐらいの広さがあり、アシデーク(セイコノヨシ)がたくさん生えていた。トントンミー(トビハゼ)やカタごがんチミガニグワー(シオマネキ)がたくさんいた。護岸があったが、しお波で穴が聞き、潮の満ち引きのときに水が入ってきていた。特に利きゅうなおおわん用価値のない場所であった。喜友名の大湾という人の土地だったらしいきたまえ現在の北前区公民館のあたりで、広さも公民館敷地ぐらいだった。11県道|ケンドー|県道。集落の中を南北に走っている道。現在の国道58号線である。1馬車道lクヮシチャングシーヌメーヌミチ|チャタンヌメ一ヤードゥイ(北谷ヌ前屋取)唯一の馬車道。29 -ジャーガル:粘土質の灰色の土。ジャーガル土質で作られた芋は、大きいが昧はあまりよくない。-洗骨:死後数年の聞に遺骨を取り出し、洗い清める儀式。回フインチャーパカ:岩石や堅い土質の斜面に掘られた横穴の墓。・カーミナクーパカ:屋根が亀の甲のような形をした墓。《聞取り調査風景》

元のページ  ../index.html#33

このブックを見る