北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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ごがん戦時中は護岸沿いに、シナビ(砂辺)のトーンナトゥのシーからマチグムイヌシーグヮーまで、幅2mぐらいの道を掘っていた。弾ゃくきかんじゅう薬を運んだりするための道だった。また、岩と岩の聞に機関銃を設マツ置してた。松の木を切り、とがらせてから海に向けて設置し、敵が来るのを阻むようにしていた。→砂辺のトーンナ卜ゥを見よ。i洞窟ーウシックヮーガマ|海岸から少し上がったところで、オータチャーの西側のハルミチそぼの側にあったガマ。名前の由来は不明。ガマの入口は大きく、のぞくと水が見え、石を投げ込むと水音がした。話者によると、中には塩水が溜まっていたようなので、海とつながっていたのではないかと言う。危ないからと、子どもたちは親にガマへ行くことを禁じられていた。ガマの上はシークヮーで、見晴らしが良く、木々はあまり生えていなかった。シナビヌメーヤールイ(砂辺ヌ前屋取)には漁業を営む家が2軒あり、海岸沿いは網を干すのに良い場所であった。現在は住宅になっているため、正確な場所はわからない。→浜川のオータチャーヌシーを見よ。直ヨそばとおボージャージーの側を通るウフドーミチの真下にあったガマ。雨が降ったときに雨宿りする場所として利用していた。戦時中は防空壕として使用され、10名以上の人たちが入ることができた。→浜川のボージャージーを見よ。i池沼. ノーリグヮーグム~とおノーリグヮーの中にあるクムイ。シチャヤールイを通って、シナビ(砂辺)に至る道があった。その道とノーリグヮーが交差するあばちたりに年中水が溜まっていた。話者によると、すり鉢状になっており、正確な深さはわからないが、一番深いところはかなりの深さがあったと言う。子どもたちが泳いで遊んだり、馬に水浴びをさせたりしていた。317 -シー:岩山。-ハルミチ:農道。畑の中の道。・ガマ:洞窟。ほら穴。-シーグヮー:岩。《間取り調査風景》-クムイ:池。沼。

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