北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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いしぶたいちnうりゅう戦時中、ガッコーに石部隊が駐留するようになってからは生徒たちはこのサーターヤーに集まって勉強していた。|サーターヤ-1製糖小屋。集落に6か所あったうちの1つ。屋号クブヌワカサマチ(クプヌ若狭町): 35の東側にあったサーターヤーである。個人所有だった。|サーターヤ-1製糖小屋。集落に6か所あったうちの1つ。屋号ミーヤーワカサマチグヮー(新屋若狭町小):23の北側にあったサーターヤーである。個人所有であった。1採石場圏|イシアナ-12か所あったうちの1つ。ケンドーの近くにあった。1 6名で担ぐほどの大きな石が採れ、墓石やブールの固いなどにしゅうふ〈使われていた。小さな石などはケンドーの修復に使われた。|イシアナ-12か戸庁あったうちの1つ。11拝所禽|ビジュjレ|ウカマジーの西南側にあった。メーグミの拝所。屋号ヤマーハマガージー(山浜川地): 17のとこおがろにあった。ニングヮチヤーのときに拝んでいた。すなベ現在は、成人病検診センター沿いの道を北方向へ進み、県営砂辺団地(15号棟)の道向かいに合杷所を作り、「ゆがふの神」まつて「ゆしみぬ神」と「うぶ井戸」とともに把られている。|ビジュjレ|としアガリグミとイリグミの拝所。屋号サンルーアシンミおが(三良安次嶺): 10の北側にあった。ニングヮチャーのときに拝んでいた。現在は、合杷所に杷られている。1広場翻|クシムイグヮーヌモー|5 0坪ぐらいの小さいモーグヮーだった。特にいい景色でもなかったので、そこで行事をしたり、集まるということなどはなかった。305 -石部隊:第62師団独立歩兵第1 2大隊の通称。《現地調査・嘉手納墓地内》-アール:便所。石で屈んだもので、中に豚を飼い、糞は豚の飼料となった。回ニングヮチャー:旧暦2月に行なわれる行事。集予喜や組単位で酒宴を開き、余興をして楽しむ。《ゆがふの神の碑》-モーグワー:原野。野原。原つぱ。

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