北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1丘⑫|フナウクイモー|屋号ミチパタイシチャーグヮー(道端石川小): 14の北側で、ケンそばドーのすぐ側にあった。とてもきれいなモーグヮーだった。そこからは海が見えるので、船が出るときには、チジングヮーを打ち、ダンジユカリユシで見送っていた。しかし、フナウクイは昭和19 (1944)年からは禁止されていた。|クシムイ|ヌザトゥきょヲかいチュンナーグヮ一ヤードゥイ(喜友名小屋取)と野里の境界あたりで、クシヌトーよりも~!二個リにあった。i池沼. グシチングムイ|チュンナーグヮ一ヤードゥイ(喜友名小屋取)とシチャシードゥきょうカいヤードゥイ(下勢頭屋取)の境界にあったクムイ。屋号イシチャーグヮー(石川|小): 45の近くで、シチャシードゥヤードゥイ(下勢頭そば屋取)へ行く道のすぐ側にあった。クムイの形は丸く、直径4~5間(7.2 ~ 9 m)、深さは1m50cmぐらいだった。グシチングムイから泥を出して、いたずらをすることもあった。とうふ結婚式の前夜にコーガーキーした遊び仲間が、豆腐や天ぷらなどのわたごちそうをもらいにやってきたとき、ちゃんとしたごちそうを渡せば問題はないが、コーレー(唐辛子)を仕込んだものを渡すと、次の日にグシチングムイから出した泥を、通り道に盛られた。話者は3回ほど、そんないたずらをしたことがあると言う。|メーヌ卜ーヌクムイ|そばメーヌトーの流れの途中にあったクムイ。ケンドーの側にあった。水が溜まっていたので、そこで馬に水浴びをさせていた。11掘井戸⑨ |卜ーヌ力一|カーヌトーとも言う。屋号カナークジャ(加那古謝): 18の西側にあった共同井戸。深さは6尋(9m)ぐらいあり、タグイガーだった。旧暦2月3日のニングヮチャーと旧暦12月24日のウガンブトゥチのときに拝んでいた。303 -モーグヮー:原野。野原。原っば。・チジングヮー・つづみ(鼓)。・ダンジユカリユシ:船出の祝い歌。身内のものが旅をするとき、一族が集落の広場あるいは高台に集まって航海の無事を祈願し、これを歌った。・フナウクイ:見はらしのいい場所から、旅に出る人の安全を願い、船を見送ること。・野里:現在の嘉手納町域にあった集落。野里馬場があった。-クムイ:池。沼。.コーガーキー:ほおかむり。-クムイ・池。沼。-タグイガー:つるべをたぐって水を汲む井戸。-ニングヮチャー:旧暦2月に行なわれる行事。集落や組単位で酒宴を開き、余興をして楽しむ。・ゥガンブトゥチ:神仏にかけた願を解くこと。

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