北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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すなべの道を北方向へ進み、県営砂辺団地(15号棟)の道向かいに苔記所を作り、「ゆしみぬ神」として「ゆがふの神」と「うぶ井戸」とともに杷られている。チュンナーグヮ一ヤードゥイ(喜友名小屋取)所有のガンやガンヤーはなかった。そのため、シチャシードゥヤードゥイ(下勢頭屋取)のガ、ンをお金を払って借りていた。ガンは4人で、肩に詰し1で、運び、道具入れを持つ人が1人付き添う。その5人は、葬式の終わっひもた晩に、板を組でくくりつけた竹を持って、マプヤーワカシを行なった。「ウネウネウネ。クマクマクマ。アネアネアネ。Jと詰ぇほうちょううする。まな板・包丁・っき臼を置き、その回りを回ってから続長ばし、そうか喪家から500mほど走った。戻ってきてから、葬式のときに使った花輪などを門の前で燃やした。戦後、チュンナーグヮ一ヤードゥイ(喜友名小屋取)の力、ンを作ったが、来語になったためにガ、ンを{吏うことはなくなった。マーイサーが、屋号カミーヒジャグヮー(亀比嘉小):29のカジマヤーのところに4個ぐらい置いてあった。大きいものは150斤(90kg)、小さいものは30斤(18kg)ぐらいの重さであった。[集落で行なわれる主な年中行事].旧暦2月2~3日<ニングヮチャー>:大きい家を借り、40歳以下のニーセータ一、40歳以上のタンメーというふうに2か所に分かれ、各家庭から豆腐、肉、ジューシーメーなどのごちそうを持ち寄って食べた。男性のみで行なわれていた。.旧暦7月<盆>エイサーを行なう。せっし吻うかでな集落域は米軍に接収され、現在も嘉手納基地内である。そのたきょうゆうかいめ、人々は他集落へ分散して暮らしている。しかし、郷友会を中心しんぼ〈としてニングヮチャーなどの集まりは続けられており、親睦を深めている。299 《合間所》-ガン:砲。葬式のとき、死者の棺を入れて墓地まで運ぶためのもの。・ガンヤー:議を納めておく小屋。・マブヤーワカシ:死者が迷わずに彼岸に行けるように祈願を捧げる行事。・北谷町では昭和28 (1953)年に沖縄市の火葬場を使用するようになり、従来の風葬から火葬へと移行した。・マーイサー:集落の広場などに置いである大小の堅い丸い石。青年たちが力試しをする。・カジマヤー:十字路。道が交差するところ。.ニングヮチャー|日暦2月に行なわれる行事。集落や組単位で酒宴を開き、余興をして楽しむ。・ニーセーター:若者の組。・タンメー:年寄りの組。・ジューシーメー:炊き込みご飯。・エイサー:旧暦7月の盆の夜に行なわれる行事。各集落の青年たちが行列をなして踊り、各家を回る。・嘉手納基地:沖縄本島中部にある極東最大の米空軍基地。《間取り調査風景》

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