北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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チャク(後ヌ樽勢理客)などで共同使用していた。砂糖を作るときに燃やす薪は、桃原あたりの松を購入して馬で運んできた。適当な長さに切って薪とした。製糖時期の日雇の賃金は、女性の場合は一日30銭であった。砂糖は60丁で600円ぐらい稼げた。普通は20~30丁作っていた。|サーターヤー|屋号サーターニー(砂糖根): 31の敷地の南側にあった。屋号サーターニー(砂糖恨)、屋号サーターニーグヮー(砂糖根小)、屋号タルーサーターニーグヮー(樽砂糖根小)、屋号カミーサーターニーグヮー(亀砂糖根小)、屋号ニーファ(禰覇)、屋号ニーファグワーヌイリ(禰覇小ヌ西)などで共同使用していた。|サーターヤー|ミーヤーヌサーターヤーとも言う。屋号ミーヤー(新屋):27の南西側にあった。屋号ミーヤー(新屋)、屋号ヒラグヮーニー(坂小根)、屋号イリヌジッチャクグヮー(西ヌ勢理客小)、屋号ウガンニー(御願恨)などで共同使用していた。1広場轡|ウシモーグヮ-1クンディヌシーからアカミチーをはさんだ南側にあった広場。昭和7~ 8 (1932 ~ 33)年頃まで、ウシオーラセーをしていた。そんなに広くなかった。|サーターヤーモー|クシグミヌサーターヤーモーとも言う。青年たちが集まって、エイサーの練習をしていた。1 5日のウークイがすむと同時にみんな集まって来て、エイサーに繰り出した。深夜までエイサーのにぎわいが続き、演者も観衆も忙しい一日だった。エイサーは隣集落同士のイーセーであった。今年、シチャシードゥヤードゥイ(下勢頭屋取)やウィーシードゥヤードゥイ(上勢頭屋取)のエイサーがハンジャヌウィ一ヤードゥイ(平安山上原屋取)に来ると、来年はハンジャヌウィ一ヤードゥイ(平安山ヌ上屋取)からお返しをするイーシンケーシンという形をとった。ウィーシードゥヤードゥイ(上勢頭屋取)、シチャシードゥヤードゥイ(下勢294 -ウシオーラセー.闘牛。牛と牛を闘わせる農村部の伝統的な娯楽競技。ウシオーラシーとも言つ。-エイサー・旧暦7月の盆の夜に行なわれる行事。各集落の青年たちが行列をなして踊り、各家を回る。・ウークイ・各家で祖霊を送る行事。送り盆。

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