北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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ド肉|クシントーヌハシ|クシントーとケンドーが交差するところに架かる橋。長さ10 らんかんm、幅6mぐらいで、アーチ型のきれいな橋であった。欄干があこしかサンンンひり、そこに腰掛けて休んだり、三味線を弾いて遊んだりしていた。かでなこわあんきょ現在は嘉手納基地内で、橋は壊されて暗渠になっている。1停車場昌|エキ|かでなへんざんえき県営鉄道嘉手納線の平安山駅。エキグヮーとも言う。細長いホームで、日よけの小屋があった。エキの周辺は、屈などもなく、乗客が乗り降りするだけの駅であった。普段は中学生が通学のために利用しているだけで、祭りがあるとき以外は客も少なかった。11建築物. |フミキリ|踏切。2か所あったうちの1つ。ナカミチとケービンミチが交差するところにあった。ナカミチに沿って水の流れがあり、排水のため、アンチョーが作られていた。その上に踏切があった。流れの大きいところは、幅1mぐらいあり、流れは海へ続いていた。踏切のしゃだんき表示はなく、遮断機もなかった。|フミキリ|踏切。2か所あったうちの1つ。ウフドーミチとケービンミチがしゃだんき交差するところにあった。踏切の表示はなく、遮断機もなかった。1役場曾門7クバ|ソンヤクパとも言う。集落の南端にあり、ウフドーミチに面していた。ヤクバの敷地内、西側のほうに井戸があり、さらにその西側にはソンエイシチヤがあった。1公共施設'ソン工イシチヤ|かいせついれいはじめ村営質屋。大正12 (1923)年9月に開設。伊礼肇村長の時代にちゃたんそん北谷村が作った質屋である。ヤクバの西側に位置し、ウフドーミチに面していた。建物は平屋の瓦ぶきで、壁は高く、白塗りの漆喰でぞう窓は小さかった。開所3年目の大正15 (1926)年に倉庫一棟を増築した。話者によると、両方の建物とも9坪ぐらいで、三間マシン291 -嘉手納基地:沖縄本島中部にある極東最大の米空軍基地。-沖縄県営鉄道嘉手納線・嘉手納・野田・平安山・桑江・北谷・大山・真志喜・大謝名・牧港・城間・内問・安里・与儀・古波蔵・那覇の15駅があった。-アンチョー:暗渠。《間取り調査風景》

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