北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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行った)Jと言う。グシタンニーの周辺はイシャーラグヮーだった。土質はアカマチクーで、少し黒ずんだ土であった。芋やサトウキビを作っていた。かんししよう後に、監視哨が作られてからは、カンシショーと呼ぶようになった。昭和20 (1945)年3月頃には、米軍攻撃が激しくなり、監視哨としての業務はトゥクガージーの自然壕の方に移っていた。→下勢頭屋取の卜ゥクガージーを見よ。1土手畠|タ力アブサー|どて集落の東側、アカミチーの途中にあった土手。高いところは2mぐらいあり、幅は30mぐらいあった。薪取りの帰りなどに、土手を利用して小休止する場所だった。家もなく、寂しい所であったため、シチャシードゥヤードゥイ(下勢頭屋取)の青年達は、ここを夜に通るときには歌いながら通っていた。i池沼. クシントーヌクムイ!集落の北側、クシントーとケンドーが交差するところにあったクムイ。クシン卜ーは雨が降らないと流れができなかったが、このクムイにはいつも水が溜まっており、家畜(馬・牛)に水浴びをさせおひでていた。クムイに下りるところは石畳になっていた。しかし、日照カ、りが長く続き、このクムイの水が掴れたときにはシナビ(砂辺)のノーリグヮーに行って、馬に水浴びをさせていた。→砂辺・砂辺ヌ前屋取のノーリグヮーを見よ。ト屈井戸轡ヤードゥイガー|共同井戸。屋号カーヌハタ(J11ヌ端): 44の南側にあった。明治4 3 (1910)年に集落で最初に掘った井戸である。話者によると、明治42 (1909)年に生まれた古老が、掘ったばかりのヤードゥイガーの水をウブミジとした話を聞いたと言う。この井戸を掘る前までは、ハマガー(浜)11)まで水汲みに行っていた。最初の頃はタグイガーであったが、その後チンガーに変わった。深さは14尋(21m)ぐらいだった。大きな水脈が地下にあり、えんせきあと水量が豊富だった。井戸の縁石には綱跡が残っていた。下の方はガマになっていた。290 -ィシャーラグワー:土に石ころが混ざった土地。石原。イサーラとも言う。-ァカマチクー・黒昧がかった赤土。サラサラしている。・監視哨:i敬の動きを監視するところ。-クムイ:池。沼。《聞取り調査風景》-ウブミジ・産湯に使う水。-タグイガー:つるべをたぐって水を汲む井戸0・チンガー:つるべ井戸。-ガマ:洞窟。ほら穴。

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