北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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りまでを言う。→下勢頭屋取のウシモーを見よ。|グンドー|郡道。大正11 (1922)年に郡道から県道に編入されたが、集落内では、その後もグンドーと言っていた。なかがみぐん中頭郡には11の集落があり、その集落が組合組織を作って、道路の議桜を行なっていた。大正3(1914)年生の話者が17"'18歳の頃にグンドーの補修工事を行なったと言う。補修工事はコーならラルを敷き、石のドゥルジ(ローラー)で表面を均していた。ドゥルジは長さ1.8m以上で、重さは2トンぐらいあった。5名がかりで動かしていた。ドゥルジはガッコーの門の右側にあった議に置いてあった。グンドーの補修工事のために、グシクンニーのイシアかっナーなどからイシグーを担いで運んでいた。女性は15日満勤で4円50銭であった。昭和7(1932)年の補修工事が最後だった。|ナカミチ|集落の真ん中を通る生活道路。グンドーの一部である。クシグミとメーグミの境界となる道。集落内ではナカミチと言うが、他の集落の人たちは、ハンジャヌウィーミチと言っていた。11村道|ソンドー|村道。屋号カマダーウンチュー(蒲太ウンチュー): 2の南側から始まり、エキの方へと続く道。イシグ一道だった。道幅は4mぐらとおいあったので、馬車が通ることができた。しかし、馬車同士のすれちが違いはできなかった。昭和5'"6 (1930'" 31)年に農道を広げて作られた。|ウフドーミチ|とおヤクパからシナビヌメーヤールイ(砂辺ヌ前屋取)を通り、シナビ(砂辺)へ向かう道。シナビ(砂辺)の人たちがよく利用しており、ハンジャヌウィ一ヤードゥイ(平安山ヌ上屋取)の人たちはあまり利用しなかった。1馬車道|ヤードゥイミチ|集落内を北向きに走る生活道路。2か所あるうちの1つ。屋号287 .コーラル:サンゴの死骸が小石や砂利になったもの。-ィシアナー:採石場。・イシグー:さんご礁などをくだいた細かい砂利。-イシグー:さんご礁などをくだいた細かい砂利。

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