北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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ンザンウガンなどもある。→平安山のアルメビョーイン、ハンザンウガンを見よ。|力一シヌメーバル|カーシヌボントゥーの南側の平坦な土地で、土質がよく、畑が多かった。サトウキビがよくできた。かでな現在は嘉手納基地内のゴルフ場になっている。11県道|ケンドー|県道。集落内を南北に走っていた。道幅は6-7m余りあったのちがので、カヤ(茅)7 -8尺(約2.5m)を載せた馬車がすれ違うことができた。しかし、集落からチュンナーグヮ一ヤードゥイ(喜友せま名小屋取)へ行くところは狭くなっていた。きいおんまつケンドー沿いには禁温松の並木があり、屋号ヤクパヌクシ(役場とおヌ後): 1から屋号ウシーアラグシク(牛新城): 61を通って続いていた。北側に行くにしたがって、右手、東側に多く植えられていた。チュンナーグヮ一ヤードゥイ(喜友名小屋取)に入ると、松の数は多くなった。ガッコー前のケンドーはナンマチの影ができ、道に陽があたるとおおいうことはなかった。2つの屋敷を覆うほどの枝の広がりがあった。ガジマルもあった。木々が道にかかっても切ることはなかった。ハンジャヌウィ一ヤードゥイ(平安山ヌ上屋取)内のケンドー沿マツいの松で、一番大きくて見事だったのは、屋号ウシーアラグシク(牛新城): 61の門の右側にあった松で、大きな根が裂けるほどに張っていた。ヤクバの下からハマガー(浜)11)集落の入口までは坂道だったのどてマツで、道の両側が土手になっており、松は植えられていなかった。ハマガー(浜)11)集落内には松が植えられていたが、それより南のクェー(桑江)からチャタン(北谷)あたりのケンドー沿いには植えられていなかった。松は道沿いのアブシや屋敷などに植えられていた。そっこうガッコーの前には大きな側溝があった。1郡道|アカミチー|ガッコーからクンディヌシーの方角へ延びる道。ウシモーに向かう、ガッコ一前の道。シチャシードゥヤードゥイ(下勢頭屋取)のアカミチカジマヤーの屋号アカミチチユンナー(赤道喜友名)あた286 -嘉手納墓地:沖縄本島中部にある極東最大の米空軍基地。-薬温松:三司官として農業・林業に大きな業績を残した察温の指導によって植えられた松。-ナンマチ:松並木。-アブシ:あぜ。回のあぜ。土手。

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