北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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ハンジャヌウィ一ヤードゥイ(平安山ヌ上屋取)11組|メーグミ|集落の組分けの1つ。ナカミチを境にして南北2組に分かれていた。道から南側の37軒がメーグミである。|クシグミ|集落の組分けの1つ。ナカミチを境にして南北2組に分かれていた。道から北側の24軒がクシグミである。1河)11 クシントー|集落の北方向にあり、東西に流れていた川。クシントーヌカーラグヮーとも言う。流れはシナビ(砂辺)のノーリグヮーへと続いてふたいた。ただし、雨が降らないと水は流れず、通常は溜まり水だった。クシントーをチュンナーグヮ一ヤードゥイ(喜友名小屋取)の人たちは、メーヌトーと言う。→喜友名小屋取のメーヌトーを見よ。|ンージュクeワー|かどガッコーのデイゴの木の下から、屋号アラグシク(新城):23の角みぞに向かつてあった溝。雨降りのときにだけ、ガッコ一周辺の水が流れ込んでいた。流れの大きなところは幅1mぐらいあり、その流れは海へと続いていた。i小ハjレ名ウィーバーケー|ウフドーミチとケービンミチの間である。上質な畑地で、土質はアカマチクーと言うサラサラした黒昧がかった赤土だった。|アシジョ一|クシントーとクンディヌシーの間一帯を言う。クンディヌシーとおの北側を通る農道よりも北側を言う。|アカミチー|ナ力ミチの南側で、ケンドーの東側一帯である。地籍はハンザン(平安山)に入るが、ハンジャヌウィ一ヤードゥイ(平安山ヌ上屋取)の一部である。畑が大多数を占めるが、アルメビョーインやハ285 《間取り調査風景》

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