北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1神家命|ウカミヤー|屋号クラニー(蔵根): 20の屋敷内にあった。アサギとも言う。クおもやラニー(蔵根)の屋敷に入ると、右側がアサギ、正面が母屋、左側がイチムシヌヤーだった。2坪ぐらいの広さで、床は板張りで姪を敷いてあった。たくさんのウコールが置かれていた。祭りのときや、他集落に遊びに行って帰りが遅くなった若者たちが、ここに泊まることがあった。こ〈たいどうる現在、国体道路が国道58号線につきあたる地点のやや南側になる。砂辺水園の南東側あたりである。1広場、極力一リーモー|しばふ屋号ウクマ(奥間): 1の北西側にあった芝生のモー。サーターヤーモーと隣合わせであった。聞にサーターヤーグムイをはさんで、力一リーモーが東側、サーターヤーモーは西側に位置した。カーリーモーはサーターヤーモーに比べて小さかった。青年たちがムートートゥエーやチャンクルーをして遊ぶ場所だった。|サンダヮチャーモー|集落の北側で、ハマガーウガンの南側、トゥンの前の広場。北側にウスク(アコウ)の木が生えていた。旧暦3月3日のサングヮチャーには、女の人がごちそうを持ち寄って、一日遊んでいた。|サーターヤーモー|力一リーモーと隣合わせの広場。製糖小屋があった。聞にサータヤーダムイをはさんで、サーターヤーモーが西側、力一リーモーが東側に位置した。サーターヤーモーは力一リーモーの2倍近い広さがあった。製糖時期以外は、トーマーミ(そら豆)などの豆類を干すのに使っていた。昭和20 (1945)年頃には、学校の校舎に日本軍が駐留していたので、サーターヤーモーに茅ぶきの教室を造り、そこで勉強をしていた。279 -アサギ:農村などで、母屋の前にある離れ。メーヌヤーとも言う。-ィチムシヌヤー:家畜小屋。・ウコール:御香炉。線香をたてる炉。-国体道路:県道23号国体記念道路-モー:原野。野原。原っぱ。-ムートウトウエー:子どもの遊び。プロレスごっこのようなもの。・テヤンクルー:お金を投げて、裏返ったら自分のものになるという遊び。-サングヮチャー:旧暦3月3日にごちそうを持って浜辺へ行き、身を消め、楽しく遊ぶ行事。子どもの健康祈願として、重箱のごちそうを食べさせる例もある。《現地調査・嘉手納墓地内》

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