北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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そit村営質屋。ヤクバの側にあった。話者によると、利用者は目立たないようにこっそり質屋を使っていたので、利用状況はよくわからないと言い、質屋に近い集落では、かえって使っていなかったかもしれないと言う。→平安山ヌ上屋取のヤクバを見よ。1交番|ジュンサヌヤー|交番。ヤクバの道向かいにあった。ハンザン(平安山)に属していた。→平安山ヌ上屋取のヤクバを見よ。1製糖小屋@ lサーターヤー|共同製糖小屋。屋号メーヌウナファグヮー(前ヌ小那覇小): 2の南側にあった。サーターヤーはlか所だけであった。そば側にはサーターヤーモーもあった。1t平所禽|リューグーシン|龍宮神。サングヮチャーモーにあった拝所。豊漁を祈願していた。背の高いスーティーチヤー(ソテツ)があり、それを目印にして祈願を行なっていた。旧暦3月3日に重箱を持ち寄り、神様におおが供えするというかたちで拝んでいた。υ 戦後、サングヮチャーモーに碑がたてられ、リューグーシンと呼ばれるようになった。現在も3月3日に祈願が行なわれている。1 r-? /1 集落の北側、ハマガーウガンの南隣に位置する。洞があった。トゥンで行なわれる行事には、ニングヮチヤ一、ニングヮチウマチ一、サングヮチャ一、ルクグヮチウマチーなどがあった。これらの行事はウカミヤーと呼ばれる屋号クラニー(蔵根)の家が取りしきっていた。278 《龍宮神・殿之神》《龍宮神》《殿之神》

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