北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1十字路|クシヌカジマヤー|屋号ティーラ(照屋): 18と屋号シマブク(島袋): 17の間にある十字路。ナカミチとクシヌミチが交差するところだった。1停車場冨|エキ|かでな県営鉄道嘉手納線の平安山停車場。ハンジャヌウィーエキグヮーちゃたんじんじようとも言う。シナビヌメーヤールイ(砂辺ヌ前屋取)と北谷尋常小学かでな校をつなぐ道とテツドーとが交差するあたりにあった。嘉手納方面に向けて、線路の右側に位置していた。ハンジャヌウィ一ヤードゥイがわ(平安山ヌ上屋取)側から線路をまたいで駅の反対側に出ると、シナビヌメーヤールイ(砂辺ヌ前屋取)の入口だ、った。ハマガー(浜}11)集落で普段からテツドーを使うのは、那覇に通Lゆっせいう中学生や農林学校の学生くらいだった。まれに、出征兵士を送るしんせきために、親戚一同で那覇まで汽車に乗っていくことがあった。かでな話者が小学生のときには、嘉手納の書j吉に教科書を買いに行くかきしゃちんとほいらと親から汽車賃をもらい、実際には徒歩で、行って、浮いた汽車賃でアイスケーキー(アイスキャンデー)を買い食いしたりしたこともあったと言う。かでなきち現在、嘉手納基地第一ゲートの南側あたりで、国道58号線と重なっている。1鉄橋冒|テッキョー|鉄橋。テツドーとトゥクガーが交わる地点にあった。コンクきずリートの土台を築いて、その上に線路を走らせたもの。長さは5mぐらいだった。子どもたちはテッキョーから川に飛び込んで遊んでいた。→伊礼のトゥクガーを見よ。11建築物A|フミキリ|踏切。シナビヌメーヤールイ(砂辺ヌ前屋取)方面に向かうウフドーミチとテツドーが交差するところにあった。→平安山ヌ上屋取のウフドーミチを見よ。277 -沖縄県営鉄道嘉手納線:嘉手納・野国・平安山・桑江・北谷・大山・真志喜・大謝名・牧港・城間・内問・安里・与儀・古波蔵・那覇の15駅があった。-嘉手納農林学校:沖縄県立農林学校。国頭農学校がその前身。大正3(1916)年に嘉手納に移設された。-嘉手納基地:沖縄本島中部にある極東最大の米空軍基地。《間取り調査風景》

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