北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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|サーターヤーグムイ|メーヌカーの東側、サーターヤーモーと力一リーモーの簡にあったクムイ。製糖の時期が終わったら、サータークルマゃ副長など、をこのクムイに沈めた。広さは直径7~8mぐらいで、深さは1m余りあった。底はすり鉢状になっていた。ホテイアオイがたくさん生えていて、ときどき草取りをしていた。また、クムイの周囲にはゲーン(ススキ)がたくさん生えていた。ひでu ;!;, 話者によると、クムイの水は日照りが続いても牛上がることがなわかったので、湧き水だったかもしれないと言う。普段は子どもたちが泳いで遊んでいた。1掘井戸車|メーヌ力一'4か所ある共同井戸の1つ。メーヌウカミガーとも言う。サーターヤーグムイの南隣にあった。深さは2mぐらいで、カーチナを2回ほど手繰るだけで水が汲めた。水量が多く、きれいな水だった。ハマガー(浜)11)集落のウブガーでもあり、持崩として誇まれていた。一番古い井戸ではないかと考えられている。ふせっテツドーが敷設される前は、メーヌカーのすぐ下が砂浜だったので、サングヮチャーのときに集まる場所になっていた。現在はなくなってしまったイリガ一、クシヌ力一、クラニーヌクシヌ力ーは、唯一現存するメーヌ力ーに合杷されている。|クシヌ力一|4か所ある共同井戸の1つ。屋号シマプク(島袋): 12の北東側にみあった。大きな井戸で、深さは3~ 4.5 mぐらいあり、水が満ちていた。話者によると、昔はクパ(ビロウ)の葉で作った釣瓶で水汲みをしていたという話が伝わっていると言う。明治時代の終わり頃まで、ハンジャヌウィ一ヤードゥイ(平安山ヌ上屋取)の人も利用していた。ハンジャヌウィ一ヤードゥイ(平安山ヌ上屋取)からクシヌカーまでは600mぐらいの道のりだった。このクシヌ力一の水は、ウガンブトゥチーのときに汲んでハマガーうぷ申(浜)11)のムートゥヤーに供えに行ったり、産湯やミジナディーのための水として利用していた。現在、クシヌカーの正確な場所は不明である。国道58号線の中おうぶんりたい央分離帯あたりであると思われる。そのため、現存するメーヌ力ーに、イリガ一、クラニーヌクシヌカーとともに合間されている。275 -クムイ:池。沼。・サーターグルマ:サトウキピを圧搾する装置。-カーチナ:井戸の絡。-ゥブガー:産湯に使う水を汲む井戸。r.' .ー《合市E所》《後之神井戸・前之神井戸》-ワガンプトゥチー:神仏にかけた願を解くこと。・ムートゥヤー:本家。・ミジナディー:水撫で。若水や産湯をj及むウブガーの水を指につけ、額を3回撫でる。

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