北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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墓が3~4基あった。ハマガー(浜), 1)集落からはやや離れていたため、足を運ぶことはあまりなかった。ニ〈たいかでな現在の国道58号線沿いの左側である。国体道路と嘉手納基地第1ゲートの中間あたりとなる。根元から削られて、現存しない。i洞窟-1アーマンチュガマ|どうくつはハマガーウガンの北西側、海岸に位置する洞窟。戦前は這って入どうくつじんこつることができた。洞窟の中には人骨があった。戦前からハマガー(浜)'1)をはじめ、シナビ(砂辺)、ハンザン(平安山)、クヱー(桑江)など海に関係する人々が、それぞれのいちもんおが一門ごとで拝んでいた。ハマガー(浜), 1)集落ではシーミーのとき、もちとうふつじゅうばこそなおが餅や豆腐、てんぷらなどを詰めた重箱を供えて拝んでいた。戦前はせっちウコールはなく、設置したのは戦後になってからである。1丘⑮|スーティーチャーヤマグヮー|ヤマグワーとも言う。屋号ウィーヌナカンダカリグワー(上ヌ仲村渠小): 21の西側で、ヤクバのやや南側に位置していた。小さな平たいEで、石が多く、スーティーチャー(ソテツ)と小さな松が生えていた。→平安山ヌ上屋取のヤクバを見よ。j池沼. |テーラグヮーグムイ|ハマガー(浜), 1)とハンザン(平安山)の境界にあるアンチョーから10mほど離れたところにあったクムイ。面積は大きく、深さも3~4mぐらいあった。流れがあるので、水がきれいだった。水浴びもしていた。製糖のときに使った馬も、テーラグワーグムイで水浴びをさせていた。周辺は畑だった。南側はきれいな白浜で、白浜に沿ってゲーン(ススキ)やアダンが防風林として植えられていた。南から海岸線沿いに作られていたゴガンは、このあたりで切れていた。→桑江のゴガンを見よ。274 -国体道路:県道23号国体記念道路・嘉手納基地:沖縄本島中部にある極東最大の米空軍基地。-シーミー:清明祭。旧暦3月に行なう祖先供主主の行事。-ウコール:御香炉。線香をたてる炉。-クムイ:池。沼。《間取り調査風景》

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