北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
276/504

根): 20から屋号ティーラベーチン(照屋ペーチン): 15の前を通る道。|クシヌミチ|集落の中を南北につらぬいて走っている道。屋号ウナファグワー(小那覇小): 7の東側、屋号ティーラ(照屋): 18と屋号シあいだとおマブク(島袋): 17の聞を通る道。|シンバルミチ|シナビヌメーヤールイ(砂辺ヌ前屋取)へ行く道。サングヮチャーとおモーのおjから始まり、ハマガーウガンの東側を通って北へ向かい、ウフドーミチとテツドーが交差する地点までの部分を言う。|クンチリミチ|ハンザン(平安山)の屋号ヤマガーグワー(山川小)の南から始ちゃたんじんじようまり、北谷尋常高等小学校の方へ続く道。通学やシチャシードゥヤーとおドゥイ(下勢頭屋取)に行くときなどに利用していた。人が通れるぐらいの細い道だったので、馬車は通れなかった。クンチリミチは途中で、シリーヌサクを抜けていく道と力ンジャーヌスバを抜ける道の2つに分かれていた。シリーヌサクの道は、木こわが生い茂って薄暗く、両脇に墓があったので、子どもたちは怖がって通らず、力ンジャーヌスバを抜ける道をよく使っていた。1坂道1ヤマガービラ|ヤマガーグワービラとも言う。ハマガー(浜)11)からハンジャヌウィ一ヤードゥイ(平安山ヌ上屋取)へのぼって行く坂道。雨降りには馬車は通りづらい道だった。11鉄道|テツドー|かでなそ1;(県営鉄道嘉手納線。テツドーはハマガーウガン西側、シーの側すとおれすれを通っていた。1岩山d 1ハマガーウガン|拝所。ハマガー(浜川)集落の北西、トゥンの北隣に位置する。あまり木は生えておらず、岩だけが東西南北、どこからでも見えていふうそうた。ウスク(アコウ)の木が生えていて、木の下には風葬された272 -北谷尋常高等小学校:明治35 (1902)年に北谷尋常小学校と野国尋常小学校の二校が合併し、平安山ヌ上屋取に開校した。昭和16 (1941)年の「国民学校令」により、学校名が国民学校へと変わった。・クンチリミチ:近道。-沖縄県営鉄道嘉手納線:嘉手納・野国・平安山・桑江・北谷-大山・真志喜・大謝名・牧港・城間・内問・安里・与儀・古波蔵・那覇の15駅があった。・シー:岩山。《ハマガーウガン》

元のページ  ../index.html#276

このブックを見る