北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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i干瀬|ハンジャンモーリー|[※編注:記載した地図の範囲外にあるため、地図上には記載されていない]ハンザン(平安山)の沖にあった干瀬。クェー(桑江)の聞取り情報によると、北風が吹くと波が立ってきれいだったと言う。マンナクワー(サザエ)、タカセ貝、チビトウガヤー(ヒロセ員)などの貝が多く取れる場所だった。普段は見えないが、旧暦3月3日には水面に岩が出ていたと言う。北側は深さが7~8尋(1O. 5 ~ 12m)ぐらいあった。みやぎくした現在の宮城区の下あたりとなる。1馬車道|ヤマガーミチ|ハマガー(浜)11)の間取り情報によると、イリー(伊礼)の北、屋号シチャグイグワー(下庫裏小)のところから始まり、トゥクガーのミジグルマーの近くを渡って北東へ向かっていた道だと言う。とお馬車も通ることができた。→伊礼のミジグルマーを見よ。|キシャミチ|かでな沖縄県営鉄道嘉手納線の線路。ケービンミチとも言う。ケンドーと平行に走っていた。ハンザンエキグワーがあった。→平安山ヌ上屋取のエキを見よ。11生活道|ナカミチ|集落の中を東西に走っている道。屋号イリウフヤグヮー(西大屋小): 36から卜ゥンまでの範囲を言う。i岩山d 4ハンザンウガン|そぱアルメビョーインの南側にあった岩山。ケンドーのすぐ側にあねもとり、岩の根元はケンドーとくっついていた。す~ベ現在は、成人病検診センター沿いの道を北方向へ進み、県営砂辺団地(15号棟)の道向かいにさ!色崩を作り、「白露之神」として、「宇地川之神」と「殿之神」とともに語られている。256 《間取り調査風景》-ミジグルマー:水車。-沖縄県営鉄道嘉手納線:嘉手納・野国・平安山・桑江・北谷・大山・真志喜・大謝名・牧港・城間-内問・安里・与儀・古波蔵・那覇の15駅があった。《合前E所》《白露之神の碑》

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