北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
259/504

ハンザン(平安山)11村渠|メーベー|集落の組分けの1つ。綱引きのときに屋号アガリジョーグヮー(東門小): 23と屋号タマグスクグヮー(玉城小): 10までの道を境にして2つに分かれた。東側がメーベーであった。|クシベー|集落の組分けの1つ。綱引きのときに屋号アガリジョーグヮー(東門小): 23と屋号タマグスクグワー(玉城小): 10までの道を境にして2つに分かれた。西側がクシベーであった。1;可JII|トゥクガ-1泉があり、そこからの流れをトゥクガーと言う。ハンザン(平安山)とイリー(伊礼)の聞を流れていた。水がきれいで水量も多かったので、そこで水浴びをしたり、泳いかちくだりした。また、家畜(馬・牛)に水浴びをさせた。話者によると、戦前に比べ、現在は水量が少なくなっているので、しゅすい米軍が取水しているのではないかと言う。→伊礼・平安山の卜ゥクガーを見よ。1谷間l力ンジャーヤーヌスバ|ハマガー(浜)11)の聞取り情報によると、シリーヌサクの東側のるてつ「ι目、『,,と肉い。地う基言な納とで子るか宣加あで在ち地現ぽ窪|シリーヌサク|ヤクバの南側にあった谷問。雨が降ると小さな流れができていた。墓がたくさんあった。かでな現在、嘉手納基地内となっている。ド道一|ケンドー|県道。集落の西側沿いで、キシャミチと平行に走っていた。薪誼パスと商品パスが議詩しており、女性のパスガイドが乗っていた。嘉手納へ買い物や遊びに行く場合などに利用していた。255 《間取り調査風景》-嘉手納基地:沖縄本島中部にある極東最大の米空軍基地。《シリーヌサク》-新垣平尾パス・戦前の乗合自動車。那覇~名護問を運行。・昭和パス:戦前の乗合自動車。那覇~読谷山村喜名問、那覇~小様~糸満から米須間を運行。

元のページ  ../index.html#259

このブックを見る