北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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それぞれのヤードゥでごちそうを食べた。大きな家がヤードゥにあてられていた。2日目には、ワカカタがトゥスイカタにごちそうを持って行く。.旧暦6月24日<綱引き>:屋号アガリジョーグワ一(東門小): 23 と屋号タマグスクグヮー(玉城小): 10までの道を境にしてメーベーとクシベーに分かれた。屋号ヌンドゥルチ(祝女殿内): 24の家の前で綱を号|いた。.旧暦7月<エイサー>昭和11 ~ 1 2 (1936 ~ 37)年頃まで行なわれていたらしい.旧暦9月<白露の御願>:ハンザンウガンとウーチヌカーで祈願とうふが行なわれていた。各家から大豆を集めて豆腐を作り、その豆腐にそなきがんカラスグヮーをのせて供え、豊作を祈願した。せっしゅうこくたいくわえ集落城は米軍に接収され、現在の国体道路の南側、キャンプ桑江内となっている。そのため、戦前の地形を窺い知ることは難しい。基地返還にあたってさらに地形が変化すると思われる。253 圃ヤードゥ・一時的に集会所に当てられる家。・ワカカタ:若者の組。・トゥスイカタ:年寄りの組。-エイサー:旧暦7月の盆の夜に行なわれる行事。各集落の青年たちが行列をなして踊り、各家を回る。-カラスグワー:スク(アイゴの幼魚)を塩漬けにしたもの。-国体道路:県道23号線国体記念道路-キャンプ桑江(キャンプ・レスター):沖縄本島中部にある米海兵隊墓地。米海軍病院がある。《間取り調査風景》

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