北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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ハンザン(平安山)北谷町域西側に位置する集落。ケンドーの東側で、南側はイリー(伊礼)、北西側はハマガー(浜川)に隣接していた。ハマガー(浜J 11)とともに「ハンザン・ハマガー(平安山・浜J11) Jと併称されることもある。戸数41軒であった。イモUょうLょう主業は農業で、芋やサトウキビなどを作っていた。県から表彰さのうぎょうゆうりょうれたこともあるほどの農業優良集落であった。各家に井戸があり、深さは2mぐらいだった。集落内にサーターヤーが3か所あった。屋号メーヌウブヤグヮー(前ヌ大屋小): 11の東側に位置していたシマブクヌサーターちゃたんそんきそせいさんだかヤーは個人所有で、北谷村内で1・2位を競うほどの生産高であった。また、屋号ナーカイトムラ(中糸村): 4の東側にあったイ卜ムラヌサーターヤーも個人所有であった。集落の東端にあったサーターヤーが共同製糖小屋で、集落の人たちみんなで使用していた。嘉手納に製糖工場ができてからは、サーターヤーを利用することは少なくなり、工場へ出荷するようになった。屋号ヌンドゥルチ(祝女殿内)がハンザンヌル(平安山神女)で、ハンザン(平安山)、ハマガー(浜J11)、シナビ(砂辺)、クェ一(桑さいしかんかっ江)、イリー(伊ネυの5集落の祭杷を管轄していた。しかし、すねんじnうさいしかかべての年中祭杷に関わっていたわけではなく、2月・3月・5月・6月のウマチーのときだけ、ハンザン(平安山)、ハマガー(浜J11)、シナビ(砂辺)、クェー(桑江)、イリー(伊礼)の順で各集落の卜ウンをまわっていた。ハンザンヌルによる祭租は昭和19 (1944)年まで行なわれていた。現在の拝所は、成人病検診センター沿いの道を北方向へ進み、県営砂辺団地(15号棟)の道向かいにある。「宇地川之神JI殿之神」「白露之神」の3つを把った合杷所である。ハマガー(浜J1 [)、チュンナーダヮ一ヤードゥイ(喜友名小屋取)の拝所と隣接している。現在の国体道路のフェンス沿いあたりにはガンヤーがあった。ハンザン(平安山)、イリー(伊礼)、ハマガー(浜J11)、ハンジャヌウィ一ヤードゥイ(平安山ヌ上屋取)の4集落共同でガンを使用していた。結婚はハマガ-(浜J11)、イリー(伊礼)、クェー(桑江)の人とヤードウイが多く、屋取集落の人との結婚はほとんどなかった。[集落で行なわれる主な年中行事].旧暦2月2~3日<ニングヮチャー(クシユクヮーシー・クスップタつぷクイ)> : 1日目にはシマクサラシも行なわれる。豚を1頭潰し、あっきIまらギキチャー(ゲッキツ)の枝に、その血を塗り、悪鬼払いをした。拝所を男性だけで拝んだあと、ワカカタとトゥスイカタに分かれて、252 《間取り調査風景》-サーターヤー:製糖小屋。-嘉手納製糖工場:沖縄製糖株式会社の嘉手納工場のこと。明治4 5 (1912)年創業。-ウマチー:稲麦などの農耕に関して行なわれる祭り。-国体道路:県道23号線国体記念道路-ガンヤー:寵を納めておく小屋。・ガン:禽。葬式のとき、死者の棺を入れて墓地まで運ぶためのもの。-ニングヮチヤー:旧暦2月に行なわれる行事。集落や組単位で酒宴を開き、余興をして楽しむ。・シマクサラシ:集落に悪疫が入ってくるのを防ぐための行事。・ワカカタ:若者の組。・トゥスイカタ・年寄りの組。

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