北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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(加那lクランモーフェーヌ力一|蔵森の南の井戸。クランモーと屋号カナーティーラグヮー照屋小): 4の間にあった井戸。|クシヌ力一|アラカチヌカーとも言う。屋号タサトウ《カーの合組所》(田里): 20の北東角に差む交汲がを道水、「ノ路使{子に十湯。産一ヲつ:ヤこ一マとガ。ジるブ戸カすウ井•• あった共同井戸。|イーマガニクヌ力一|上間兼久の井戸。屋号タルーアワグヮー(樽安和小): 34の南側、カジマヤーのところにあった井戸。イーマガニク(上間兼久)のウそなブガーであった。行事のときなどにウコーを供えていた。行事以なにかと集落の人たちが集まる場所であった。外にも、圃ウコー:御線香。-ランカングワー:欄干。手すり。-アンチョー:暗渠。1橋間|ラン力ンダヮー|イーマガニク(上間兼久)にあったアンチョー。ンナトゥグヮーいしばしすわの上にあり、10mぐらいある大きい石橋だった。座って休むのにならいいぐらいの大きさの石が並んでいた。|ラン力ンダヮー|キラマジーに行くところにあるアンチョー。子どもたちが遊ぶウナギなどを手づかみでとることができた。力二、エビ、場所で、-サーターヤー:製糖小屋。-サーターグルマサトウキビを圧搾する装置。1製糖小屋⑫ |イリーグヮーヌサーターヤー|ムラヌサーターヤーとも言う。屋号コーチグヮー(幸地小): 18のホンアザところにあった。イリー(伊礼)本字の人たちで共同使用していたサーターヤーである。平均10 ~ 1 5丁ほどの砂糖を作っていた。サーターグルマを引く馬は、馬を持っている家が無料で貸し出していた。借りた人は作業が終わった後、馬を水浴びさせてから返していた。-サーターヤー-製糖小屋。|メーマシヌサーターヤー|屋号クシヌティーラグヮー(後ヌ照屋小): 17の南側にあった。屋号メーマシ(前升)の個人所有である。昭和15 ~ 1 6 (1940 ~ 41)年頃に個人でサーターヤーを作り、屋号メーマシ(前升)と屋号メーマシグワー(前升小)の2軒で共同使用するようになった。個人所有のサーターヤーを作る前は、集246

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