北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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i池沼. クシヌクムイl屋号アガリティーラグワ一(東照屋小): 6の近くにあったクムイ。クシヌカーラの流れの中にあり、ちょっと深くなったところを言つ。|ンマアミシグムイ|クェーヌクシヤードゥイ(桑江ヌ後屋取)のデンプンコージョーかどの角にあったクムイ。深さは2mぐらいで、馬に水浴びをさせるところだった。i留まり水ではなく、流れ水であった。子どもの遊び場戸庁でもあった。|トゥントゥングムヤー|ナルカーの山間を抜けたところに、落差2mぐらいの滝があり、滝壷が10坪ぐらいのクムイになっていた。イーマガニク(上間兼久)やクェーヌクシヤードゥイ(桑江ヌ後屋取)一帯にトゥントゥンという水の音が聞こえていた。I-1'TI そば池。トゥンの側にあった。掘って作ったものだが、作られた年代はわからない。サーターグルマの軸木を漬けておくための池だった。広さは50坪ぐらいで、深さは2mぐらいだった。話者によると、はけ口がない溜まり水だ、ったが、大正初期頃には、ターイユ(フナ)やンナジ(ウナギ)などがいたと言う。イチは低いところに位置していたので、上の方から流れてきたものが住みついたのではないかとのこと。字有地であった。1湧水井戸圃|ウーチヌ力一|うっそう集落の北東に位置していたカー。周囲には木が生え、欝蒼としていた。旧暦5月15日のグングヮチウマチーのときにハンザンヌおがめまごブタつぶそなルが拝んでいた。雨乞いのときにも拝む。豚を潰して供えていた。くわえわ現在はキャンプ桑江内にあるが、今でも水が湧いている。1掘井戸⑨ lクランモーヌ力一|蔵森の井戸。クランモーヌウプガーとも言う。イリー(伊礼)のヂューグヤおがウブガーであった。グングヮチウマチーと十五夜のときなどに拝んでいた。245 -クムイ:池。沼。-サーターグルマ・サトウキピを圧搾する装置。《発掘調査で出土したカーの跡》-カー:井戸。・グングヮチウマチー:旧暦5月に行なわれる農耕に関する祭り。ノロ(神女)が祈願をささげる。・ハンザンヌル:平安山祝女。伊礼、平安山、浜)11、砂辺、桑江の5集落の祭泥を管轄していた。平安山の屋号ヌンドゥルチがヌルだった。-キャンプ桑江(キャンプ・レスター):沖縄本島中部にある米海兵隊基地。米海軍病院がある。・ウプガー:産湯に使う水を汲む井戸。

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