北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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j岩山δ |キラマジー|イリー(伊干し)本字の西側、ケービンミチを越えた海寄りにあった拝所。他集落の人たちが拝みに来ることはなかった。現在、県営美浜高層住宅の北東側にある。戦前は今の位置よりも10mぐらい北側にあった。|ウシヌホーミ|めうしヤマダにあった岩山。岩の形が牝牛のホーミーに似ている。洞窟~ ター研司[※編注:位置不明確のため、地図上は記載していなし、]屋号アガリティーラグワー(東照屋小)の墓の近くにあったガマ。横穴で、大人が立って入れるぐらいの大きさだったが、ハブが怖いので中に入ったことはなかった。話者によれば、その近くの墓は防空壕に利用されていたらしいので、タカガマも戦時中には防空壕として利用したかもしれないと言う。b~ |クランモーヌムイ|イリー(伊礼)集落の鎮守の森。5""'6mのE。松などの木が欝そう蒼としており、きれいな芝生が生えていた。フナウクイをする場所でもあった。ヤマトゥなどへ旅立つ人をなは那覇まで見送りに行けない人は、クヱーヌメー工キで見送ったあと、クランモーヌムイで太鼓をたたき、ダンジュ力一リーで見送つしゆっこうよみたんざんぱた。主に女性が行なっていた。那覇を出港して、読谷の残波までの3 0分""'1時間ぐらいの問、船が見えていた。クランモーヌムイでフナウクイをした後:は、えんかいた宴会を行なった。その旅立った人の家へ行って、ちょっとし→桑江ヌ前屋取のクェーヌメーエキを見よ。1土手掴|タカアブサ-1ウーチヌカーの南西、シチプパルとイリーパルとの境界にあった3""'4mの高いアブシを言う。そこは旧暦8月15日の夜にタマガイを見る場所だった。そくりょうきじゅんてんずこんてんタカアブサーの一角に、測量に必要な基準点の一種である図根点があった。244 《けらまじー拝所》-ホーミー:女性の陰部。圃ガマ:洞窟。ほら穴。《クランモー》-フナウクイ:見はらしのいい場所から、旅に出る人の安全を願い、船を見送ること。-ヤマトゥ:日本。沖縄に対して日本本土を言う。-ダンジユカーリー:船出の祝い歌。身内のものが旅をするとき、一族が集落の広場あるいは高台に集まって航海の無事を祈願し、これを歌った。-アブシ:あぜ。田のあぜ。土手。・タマガイ:火の玉が家の上に高く上がったりすること。凶兆。

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