北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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はいしょひ拝所。碑やワコールなどはなく、屋号ウエユナパル(上与那原): 23 の石垣に向かつて拝んでいた。クスックィーやクングワチクニチーに拝む。直径10mぐらいの広場になっていて、行事のときなどはインナーに集まっていた。ヤイサーの練習をする場所でもあった。インナーおがを拝んでから、ヤイサーは出発し、各家を回った。マーイサーもインナーに置いてあった。大きさ・重さも色々違うマーイサーが4~5個ぐらいあった。夕方になると、青年が集まって力比べをしていた。|アシビナ-1屋号メーヒャーグングワー(前比屋根小): 22の北側にあった。ちょっとした広場になっており、芝居をする場所だった。広場を見のぼ下ろすように段になっているところがあり、そこに上って見ていた。広場はとても低くなっていたので、普段の集まり場所としてはインナーを{吏うことが多かった。11寵屋' |ガンヤ-1集落の北方向にあった。赤瓦屋根で、4か所に柱を立て、周囲は土壁だった。グィークトーバルと共同使用していた。そうかおガンは、喪家から墓まで一度も下ろさなかった。どうしても交代という場合には、ガンを地面に下ろさずに、担いだまま交代していしんせきた。亡くなった人と近い親戚はガンを担がなかった。同じトーバルヤードゥイ(桃原屋取)の集落内の人で、亡くなった人の親戚でとおはない人が担いだ。ガンの通り道になった家は、悪い霊が入ってこないようにという意昧で、門の前にススキを2~3本地面に置いた。話者によると、幽霊話を色々聞かされたので、子どもの頃は昼でも一人ではガンヤーのところを歩けなかったと言う。ちゃたん卜ーバルヤードゥイ(桃原屋取)の人たちの墓は現在の県営北谷団地あたりにあった。231 -ウコール:御香炉。線香を立てる炉。・クスックィー:農繁期のあとにする骨休みの行事。・クングヮチクニチー・旧暦9月9日に菊酒を飲むなどして、健康・長寿を願う。・ヤイサー(エイサー):旧暦7月の盆の夜に行なわれる行事。各集落の青年たちが行列をなして踊り、各家を回る。・マーイサー:集落の広場などに置いである大小の堅い、丸い石。青年たちが力試しをする。-ガン:寵。葬式のとき、死者の棺を入れて墓地まで運ぶためのもの。-ガンヤー:i詣を納めておく小屋。

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