北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1丘⑮|フナウクイモー|集落の西方向にあったフナウクイをする場所。山の上で松葉をはよみたん燃やして煙を出し、ダンジユカリユシで見送った。那覇から読谷あたりまで船を見送ることができた。とうばるてんぼうだい現在の桃原公園の展望台のあたりである。1池沼. lサーターヤーグムイ|サーターヤーの側にあった大きなクムイ。深いところは大人の腰丈ぐらいあったが、その周囲は浅かった。E互亙屋号クムイニー:12の東側にあったクムイ。直径10mぐらいで、イモあまり深くなかった。芋などを洗うのに利用していた。11湧水井戸圃卜ーバルガー|共同井戸。集落の東方向にあった。アガリガーとも言う。ワクで、ニープで汲むことができた。トーバルヤードゥイ(桃原屋取)には井戸が少なかったので、みんなトーバルガーに水汲みに行っていた。朝から晩まで人が絶えなかった。飲料や洗濯などの生活用わかみず水にするほか、正月の若水も卜ーバルガーから汲んでいた。カーウガミのときには、ヒャーナ一、卜ーバルガ一、インナーのホ3カf順で拝んだ。クスックィーやクングヮチクニチーにも拝む。1製糖小屋⑫ サーターヤー|屋号アガリイラファ(東伊良波): 24の北東方向にあった。5軒ぐなはあわせらいで共同使用していた。作った砂糖は那覇と泡瀬に運んでいた。近いので、泡瀬に運ぶことが多かった。砂糖を運ぶときには馬車を使うとお金がかかるので、担いで持って行った。一樽100斤(60 k g)ぐらいなので、両方の肩に担ぎ、200斤(120kg)持って行った。トーバルヤードゥイ(桃原屋取)で馬車を持っていたのは1~ 2軒だけだった。11広場轡|インナ-1屋号ウエユナパル(上与那原): 23の東側の角のところにあった230 .7ナウクイ:見はらしのいい場所から、旅に出る人の安全を願い、船を見送ること。-ダンジユカリユシ:船出の祝い歌。身内のものが旅をするとき、一族が集落の広場あるいは高台に集まって航海の無事を祈願し、これを寄kった。-クムイ:池。i泊。《間取り調査風景》-ヮク:湧き水。・ニープ:ひしゃく。・カーウガミ・井戸の神様を拝む0・ヒヤーナー・首里から逃げてきて山里で子を産み育てた美しい娘を杷ったと伝えられている。普天間宮へ遥拝する場所である。・クスックィー:農繁期のあとにする骨休みの行事。・クングヮチクニチー:旧暦9月9日に菊酒を飲むなどして、健康・長寿を願う。《トーバルガー》

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