北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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屋取)の人たちの墓は現在の県営北谷団地あたりにあった。マーイサーがインナーにあった。大きさや重さが違うものが4~5個ぐらいあった。正月には、チヤンクルーをして遊んだ。屋号ウフヒャーグングワー(大比屋根小): 3の屋敷近くに遊ぶ場所があった。そこは広場というわけではなく、荷馬車が通るぐらいの道だったが、芝生が生えていて、遊ぶのに良い場所だった。[集落で行なわれる主な年中行事].旧暦2月2~4日<クスックィー(ニング、ワチャー)> : 1日目ふてんまおがは普天間拝みへ行った後、大きな家をヤードゥとして借り、みんなで集まってごちそうを食べた。2日目はヒヤーナーとインナーを拝みに行く。各家庭で豆腐、天ぷら、チンヌク(サトイモの一種)、ゴボウ、野菜などのごちそうを大きな重箱に詰めて、インナーに持ちより、みんなで食べた。3日目はクスックィージューシーを炊いて、ヤードゥで食べる。男女一緒に行なわれていた。.旧暦7月<ヤイサー>青年男子のみで行なわれ、女子や子どもは参加しなかった。トーバルヤードゥイ(桃原屋取)とグィークトーパルの人たちが一緒になって行なわれた。練習場所はインナーで、おが当日も拝んでから出発した。集落内の各家を回った。ウィーシードゥヤードゥイ(上勢頭屋取)など、他集落へ行くこともあった。.旧暦8月15日<ジューグヤー>:アシビナーで芝居が行なわれた。明治41 (1908)年生まれの話者が17 ~ 1 8歳の頃までは行なわれていたと言う。卜ーパルヤードゥイ(桃原屋取)のアシビは有名で、あちらこちらから見物人がたくさん来ていた。トーバルヤーやまざとドゥイ(桃原屋取)の人たちと山里の人たちが一緒になって「伊在島ハンドークワ一Jを演じた。上手な人がたくさんいた。集落域は現在の町立北谷中学校あたりであるo227 -マーイサー集落の広場などに置いてある大小の堅い、丸い石。青年たちが力試しをする。・チャンクルーお金を投げて、裏返ったら自分のものになるという遊び。-クスックィー:農繁期のあとにする骨休みの行事。・普天間拝み:琉球八社のlつである普天間宮を拝むこと。人々の尊崇を集め、現在も参拝者が絶えない。・ヤードゥ:一時的に集会所にあてられる家。・ヒャーナー・首里から逃げてきて山里で子を産み育てた美しい娘をJ担ったと伝えられている。普天間宮ヘ遥拝する場所である。・ジューシー:炊き込みご飯。・ャィサー(エイサー):旧暦7月の盆の夜に行なわれる行事。各集落の青年たちが行列をなして踊り、各家を回る。・ジューグヤー:十五夜。集落で芝居などをして楽しむ。圃アシビ:歌・三味線・踊りなどを楽しむこと。また、村芝居・祭りなど、仕事を休んで行なう演芸・娯楽0・伊江島ハンドーグヮー:沖縄三大悲歌劇の1つ。《インナー》

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