北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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の集落内にカミヤーを作り、ハーナームイの神をお迎えした。イーヌモーの近くの個人宅敷地内にコンクリート作りの洞を建てて組つである。|ハーナームイ|[※編注:記載した地図の範囲外にあるため、地図上には記載していない]おきなわLやまざとはいしょヒャーナーとも言う。現在の沖縄市山里にある拝所。戦前、サチジョ一ヤードゥイ(崎門屋取)の集落内には拝所がなかった。クスックィーなど行事ごとの拝みや、個人で拝みを行なうときには、ハーナームイに行った。ハーナームイの神は、首里からやまざと山里に逃げてきて、子を産み育てた美しい娘を詰ったものだと伝えられている。戦後、このハーナームイの神をサチジョ一ヤードゥイ(崎門屋取)にお迎えし、イーヌモー近くの個人宅に力ミヤーを構えて前日っている。屋号イチンニーグヮー(池根): 7のところの三叉路にあった。大きさや重さが違うマーイシが7~8個あり、青年たちは仕事が終わると、そこに集まってマーイシを持ち上げる練習をしていた。エイサーの練習もマーイシモーでしていた。戦時中、日本軍が敵の戦車への攻撃のために使うと言って、マーイシモーからマーイシを持ち出し、屋号カマラーサチジョー(蒲田崎門): 14の東南にあった山のところに置いてあった。戦後、マーイシはそのままなくなってしまった。置いてあった山自体もなくなっている。222 《聞取り調査風景》-クスックィー:農繁期のあとにする骨休みの行事。-マーイシ.集落の広場などに置いである大小の堅い、丸い石。青年たちが力試しをする。・エイサー:旧暦7月の盆の夜に行なわれる行事。各集落の青年たちが行列をなして踊り、各家を回る。

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