北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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フナウクモーでは、泊からスナベ(砂辺)まで船を見送ることができた。もうlつのフナウクイモーよりも海を広く見渡すことがでマツきたので、こちらの方がよく利用されていた。松葉を燃やして、煙を立たせ、隣近所の人や親戚のおばあさんたちが太鼓を叩いて、歌を寄欠い、フナウクイをしていた。現在のポリテクセンターのところにあった。|イーヌモ-1サチジョ一ヤードゥイ(崎門屋取)で一番高いところだった。屋号トゥクンミ(徳嶺): 3や屋号メーナカムラグワ一(前仲村小): 4 ぜつべきの近くだった。南側は絶壁になっており、下はアラカーガーラが流れていた。屋号イチンニー(池根)と屋号メーナカムラグワ一(前仲村小)の畑があった。i池沼. |メーナカムラグワークシヌクムイ|屋号メーナカムラグヮー(前仲村小): 4の東側、道向かいにあったクムイ。30~40坪ぐらいの大きさで、深さは1mぐらいだった。道沿いに細長い形をしていた。畑仕事の帰りに、手足や農機具を洗うために利用していた。家畜(馬・牛)に水浴びをさせるウマアミシグムイではなかった。|イチンニーグムイ|屋号イチンニー(池根): 11と屋号ミーヤー(新屋): 12の東側、た道向かいにあったクムイ。i留まり水だった。30~40坪ぐらいの広さで、深さは1mぐらいだった。道にくっついて、半円のような形をしていた。畑仕事の帰りに、手足や農機具を洗ったりするのに利用していた。会話(馬・牛)に水浴びをさせる場所でもある。|サーターグムイ|サーターヤーのところにあったクムイ。製糖時期が終わると、シじくぎつロアリ(白蟻)よけのためにサーターグルマの軸木を漬けていた。1 0坪ぐらいの広さだった。畑仕事の帰りに、手足や農機具を洗ったりするのに利用していた。|トーバルクームイi集落の北方向にあったクムイ。70坪ぐらいで、道沿いに細長い形をしていた。深さは1mぐらいだったが、溜まり水だったので、220 園フナウクイ:見はらしのいい場所から、旅に出る人の安全を願い、船を見送ること。・ポリテクセンター:沖縄職業能力開発促進センターボリテクセンター-クムイ:池。沼。-クムイ:池。沼。-クムイ:池。沼。・サーターグルマ:サトウキビを圧搾する装置。-クムイ:池。沼。

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