北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
223/504

1生活道トゥラジミチ|ジャーガルシンデイリーから上ってくる道。屋号メーサチジョーせま(前崎門): 5へ行く道。道幅が狭かった。現在の玉那覇酒造のあたりである。i坂道ジャーガルシンデイリー|きたたまあ現在の町立北玉小学校のところから上がる、真っ直ぐな坂を言う。すベころジャーガルビラより急な坂道だった。非常に道が悪く、滑ったり転とおんだりしていた。道幅も人が通れるぐらいだった。ニービなので、くず台風のときは崩れたりした。トゥラジミチとつながっており、屋号メーサチジョー(前崎門): 5へ行く道。話者によると、土地はサチジョ一ヤードゥイ(崎門屋取)のものなのに、なぜジャーガルシンデイリーと言うかはわからないと言う。|ジャーガルビラ|ジャーガルヤードゥイ(謝苅屋取)にあった坂道。石畳道だった。上の方に大きな松が2"-'3本あり、学校の帰りに一休みする場所だった。ジャーガルビラの上にはイニンビーが出ることで有名である。話者によると、イシグー取りをしているときに石が倒れてきて死んだ人がおり、この人がイニンビーになったという話があったが、実際にイニンビーを見たことはないと言う。→謝苅屋取のジャーガルビラを見よ。i切り通しlウクルンワイ卜ゥイ|ジャーガルヤードゥイ(謝苅屋取)の方にあった。長さは24"-'25mぐらいだった。右側は30mぐらいで、左側はあまり長くなあとかった。高さは相当高かった。掘ったときの跡が残っていた。丘⑫フナウクイモーI(※編注:位置不明確のため、地図上には記載していない]2か戸庁あるうちの1つ。トゥラジにあった。2か所あるうちの1つ。ウクルンバルにあった。山の上が半道になっていて、30名ぐらいで輪を作って座れる広さがあった。この219 -ニービ:赤くざらざらした堅い土質。-ィニンビー・ひとだま。死者の遺念が火となって現れるとされるもの。・ィシグー・さんご礁などを砕いた細かい砂利。

元のページ  ../index.html#223

このブックを見る