北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1IJ¥ハjレ名アガリバル-1集落の東南側にあった。畑地で、ほとんどムジパルだった。現在のうぐいす谷墓地公園一帯である。|ウチアラ力一|集落の東南方向にあった谷底。谷を作っている川は、フテンマガーラ・チャタンガーラにつながっていた。家畜(馬・牛)に水浴びをさせていた。現存する。|卜ゥラジ|集落の南西方向にあった。トゥラジパルとも言う。山で、チャタン(北谷)の人が薪を取るために買い取った土地があり、チャタンジーと言った。底は畑で農作物は芋を作っていたが、非常に悪い土地だった。トゥラジという意昧は不明。|チャタンジー1(※編注位置不明確のため、地図上には記載していない]トゥラジの一部である山林を言う。薪を取るために、チャタン(北谷)の人がこの土地を買ったため、こう呼ばれるようになった。|イリウィーバル|集落の西側一帯を言う。卜ーバルガーラの流れがきており、田んぼがあった。戦後、埋め土されている。|ユヒングヮーヌメ-1集落の北西方向にあった。深い山で、家もなかった。1君H道|ジャーガルミチ|ケンドーとも言う。ジャーガルヤードウイ(謝苅屋取)から上ってくる道。話者によると、明治28 (1895)年生まれの方が10"-'1 1歳の頃に、この道ができたという話を聞いたことがあると言う。その道造りのときには、サチジョ一ヤードゥイ(崎門屋取)の人たちもニンスクとして作業に出たと言う。→謝苅屋取のジャーガルミチを見よ。218 -ムジバル.麦畑。《間取り調査風景》.ニンスク・人足。

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