北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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さんさる屋号イチンニーク、ワー(池根小): 7のところの三叉路をマーイシモーと言い、そこにマーイシが7~8個置いてあった。学校は、チャタン(北谷)にあった北玉国民学校に通っていた。サチジョ一ヤードゥイ(崎門屋取)やトーバルヤードゥイ(桃原屋取)の人たちの墓は卜ゥラジにあった。そこには、戦時中、防空壕も多く作られた。現在のうぐいす谷墓地公園の近くまで、たくさんの壕があり、現存している。[集落で行なわれる主な年中行事].旧暦2月2日<クスックィ一(クシユクヮーシー・ニングワチャー)>:ほとんど男性だけで行なわれていた。大きな家を借りサンシンひたいてヤードゥとし、そこに集まって、三昧線を弾き、太鼓を叩いたりぜんもモモさかざして遊んだ。ごちそうは膳に盛り、桃の花を挿して飾った。.旧暦7月<エイサー>:2 ~ 3週間前から、マーイシモーに集まって練習していた。当日は集落内の各家を回っていた。おが.旧暦8月<カーウガミ>トーバルガーを掃除し、拝む。せっL。うつうしんたいしせつふじんぶ集落域は米軍に接収され、通信隊の施設となり、その後は婦人部しらかわえん隊になっていた。現在は返還されている。白川園の北東側あたりで、住宅地となっている。215 -マーイシ:集落の広場などに置いである大小の堅い、丸い石。青年たちが力試しをする。・北玉国民学校:北谷尋常高等小学校の分教場であった。大正3(1914)年に北玉尋常小学校として開校し、大正6(1917)年に高等科を設けて北玉尋常高等小学校となった。後に国民学校となる。-クスックィー:農繁期のあとにする骨休みの行事。-ヤードゥ:一時的に集会所にあてられる家。-エイサー:旧暦7月の盆の夜に行なわれる行事。各集落の青年たちが行列をなして踊り、各家を回る。圃カーウガミ:井戸の神様を拝む。-白川園:社会福祉法人高洋会老人保健施設白川園《トーバルガ一周辺》

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