北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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11拝所禽やまざとジャーガルモーに3体ある。このビジュルは山里からウンチケーしてきたものである。旧暦2月2日、旧暦8月15日、旧暦おが1 1月15日に拝む。1広場観|ジャーガルモ-1アザモ一、マーチユ←モーとも言う。屋号ウフナーザトゥ(大宮里): 31の南西方向にあった。20"'30坪ぐらいのモーグヮーだった。やまざと山里からウンチケーしてきた3体のビジュルがある。ウンチケーしてくる前は、ただのモーグヮーだった。ビジュルの洞は、ソーメン箱を枠として、セメントで作られていた。すべて、ジャーガルヤードゥイ(謝苅屋取)の人たちによって作られた嗣であった。戦前、戦後とも、洞の位置や向きは変わっていないみき幹の太さが2"'3mぐらいの大きな松があった。ジャーガルモーひに向かつて右側で、碑の反対側に生えていた。しかし、その松は戦後になって虫にやられて枯れてしまい、なくなってしまった。現在生えている松は戦後のものである。旧暦2月2日と旧暦8月15日の2回に拝んでいる。フナウクイをする場所でもあった。おばあさんたちが太鼓をたたきながら見送っていた。話者によると、煙だけをたててやったこともあるらしいと言う。周囲は畑だった。現在の町立第一保育所のところである。|マーイサーモ-1セーネンモーとも言う。トーヤマヌカーの南西側にあった。マーイサーが置いてあり、それぞれ大きさ・重さが違っていた。ほとんどは卵形だが、1個だけ、コーグワーダチャーといって、鏡餅みたいな形のものがあった。話者によると、マーイサーの重さは1 0 0 k g余りあったのではないかと言う。夜になると若者が集まって、力比べをして遊んでいた。沖縄相撲や、エイサーの練習を行なう場所でもあった。現在のハッピー(北玉)児童館の南西側あたりである。マーイサーはジャーガルモーに移しである。210 -..:,> 《ピジュル》-モーグヮー:原野。野原。原っぱ。-ビジュル:お招き。お連れすること。-ウンチケー・霊石として租られる石。《ジャーガルモー》-フナウクイ:見はらしのいい場所から、旅に出る人の安全を願い、船を見送ること。《マーイサー》-マーイサー:集溶の広場などに置いである大小の堅い、丸い石。青年たちが力試しをする。・エイサー:旧暦7月の盆の夜に行なわれる行事。各集落の青年たちが行列をなして踊り、各家を回る。

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